多賀城
偶々電車内で声をかけたお隣の方は福島から来られた80代位とお見受けする女性で、人生で念願の多賀城とのことでした。子供のころ見た鶴ケ谷の版画と(仰っしゃったか)が何故かずっと心にあり続け、二人の娘さんと一緒にやっとこれたとお話し下さいました。私はコンサート、講演会のご案内をお渡ししながら、その方の「魂」が多賀城を慕っていると考えましたが、残念ながらおわかりにならず国府多賀城駅で降りられました。そして本日は、改めまして「魂」を考える機会があり、その「芯」は「愛」と感じます。それはそのまま未来を創る力の源であると目の前が明るくなります。講演会、誠にありがとうございました。「出会う前から会っている」とは、自分の生活を糺さねばと即座に浮かびました。また、出会う前からとは何と浪漫あふれるかとも感じ、これから出会う期待と喜びが生れます。しかし、京都を発つにあたり、あまり掃除が出来なかったことが悔やまれるところです。内面の整理をとことんせずには休めないお話には、自分は眠れてしまう鈍感さに項垂れてしまうところでした。高麗さんかはっきりと一人一人、全体のことを仰っしゃってくださる事は図星ばかりですが、嬉しく感じる自分であります。なぜなら直していけるからで、また自分が成長できる有り難いことと感じます。またビデオ講演会の時にふと先日顔を見に行った父母を思い、「親」と言うよりも、父は「父」として、母は「母」として真心を尽くそうという心の変化がありました。
気づける機会をありがとうございます。
田嶋利江子