変化
いくら勧めてくれ、声を掛けられても、いまの境遇では、11月1日の「高句麗伝説」には参加できない(派遣講師の身では、欠勤は難しいし、経済的にも肉体的にも負担が重い……)、ここは我慢のしどころと決めていた。しかし、「死について」で、いまわたし自身が認識の岐路に至っており、変化のときが来ていることを察知し、「応用講座」で、「高句麗伝説」は1回で「高句麗」のことを分かり、それで終わりではなく、楽器の選択、音の組み立て、毎回新しく構成し、「カミともに生きる」ことの表現を目指しているのだということを、お聞きし、これは、もうためらっている場合じゃない、ここで参加しないと、わが命の危機に瀕すると思い始めた。うじゃうじゃ変な理屈をつけて、ためらっている場合じゃないのだ。強情な頭(主体性)が渋い顔をしても、しなやかな心の方に任せようと思った。それで、隣りのKさんに、「11月1日、一緒に行きますよ。よろしく!」と声を掛ける。 (10/26)