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国体、アイデンティティー、シリアに学ぶ


シリアの映画を2本を見せていただいた後に いだきしん先生のコンサートがあり、実に様々な光景(または存在)が内面で交流する経験となりました。シリア映画で最も強く感じたのはシリアの人々は一人一人の体がかつての日本人がそうだった「国体」になっていることでした。しかも先生が常に仰っていることですが今の日本には失われている国体が、そのままある国と感じます。多くを学びます。

もう一つは国体だからこそ、中心に精神がしっかりと立ち、アイデンティティーが明確であることです。私はかつてはアイデンティティーについて大きな勘違いをしていました。その源にあるものを「地域」「故郷」と捉えていたのです。しかしどうも「地域」「故郷」ではアイデンティティーを求めている自分自身の芯にあるものとピタッと来ませんでした。いだきしん先生との出会いがあったからです。もっと奥にある何かと感じてきました。大いなる存在のことを聞き、知り、先生に長く学んで来た「存在論」は最近は「存在そのもの」についてとなり、自らの「存在」に目覚めつつある今、故郷もアイデンティティーの一つの要素ですが、中心ではありません。

シリア映画で「地域」「故郷」としてはアレッポあり、パルミラがありと地域が愛着を持って描かれましたが、あのアレッポへのバス移動中の人間模様の中心存在だった好々爺の元ラジオ局キャスター、二部では女神に守られつつも遂には悲惨な死を迎えた3人の兵士と著名な考古学者の方々の純粋な心、強い精神、揺るぎない魂は大いなる存在と繋がっている姿としか見えません。
高麗さんに「映画は全て現実です」とシリア大使が話されたとのことですが言葉無くうなずくしかないほどに映画はリアルな表現に満ちていました。映画の日本語訳がどの程度正確だったのか、細かいニュアンスは私にはわかりませんが、奥さんがユダに例えた兵士の父、裏切り者が自分が助かるためについた「宝物」の嘘がISの頭領と考古学者の認識、表現の違いを増幅し、悲劇を起こしたとも感じます。イエス・キリスト、ユダ、アッラーなどの名前が普通に語られ、宗教、神々が大きな背景となっていることも伝わります。

映画のシーンだけのことではなく様々な世界の現実、現象で起こっていることは先生のペルセポリスでのコンサートメッセージ「文明間の対話」の必要性に行き着くと感じます。そしていだきしん先生が最後にコンサートをしてくださいました。映画に描かれた「現実」から先生がどのようにシリアで起こっている「生の現実」を内面で受容され、先生のいのちと融合し空間を通して解決されていくのか、いつものことで推察しかできませんが、「コンサート空間の現実」をたくさん経験している私たちが伝えていく使命をどう実現していくのか、今回も自分自身が問われていると強く感じる一日でした。

シリアには何度か先生、高麗さんと同行させていただき、その時に街中のあちこちで見たアサド大統領の顔が映る大きな看板が印象に残っています。国を引っ張っていく大統領にしては独特の暗い瞳を感じました。不思議だったあの時の写真、大統領は今も変わらぬ深い哀しみを湛えていたと今、思い返します。今も常に起こっている世界の現実を知る貴重なシリア映画を見る機会といだきしん先生のコンサートを経験させていただき感謝の気持ちでいっぱいです。いつも尊い経験の場をありがとうございます。

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