噓偽りなく
何もかもさらけ出して、弱さを隠さず、否定的な思いも避けず……、という私小説的な告白に生きることが、「嘘偽りなく」ではなかろうと思う。若い時は、田山花袋や徳田秋声を身近に感じ、太宰治の自堕落も自分のことのように思って親しんでいたが、年を取ってからの正直さは、吐露でも美化でもない、もう少し深いところの「本音」に沿うように生きることこそ「嘘偽りでなく」だと考えたい。「挫折」や「失敗」をいい気になって語るのでなく、それでもなお「再生」と「希望」とに生きる意志を伝え、正直な事実と、不屈の精神と意欲の両者を語っていきたいと思う。そうしてこそ強く生きられるのだと思う。(昨日の高麗先生の「人間」を読んで。)