命の根源
ここ数日間、毎朝白いコーヒーを頂いています。いつもは黒いコーヒーですが、白いコーヒーを命が欲する時は、心身が弱っている時の前兆として受け止めています。母のことや仕事でも、色々と気忙しく動いていましたので注意しなくてはいけないと、改めてコーヒーを頂きながら感じています。昨日の朝、いつものように白いコーヒーを淹れて一口頂いただけで、お腹の中にお日様が一緒にいるかのように感じました。あまりにも、お腹がぽかぽかとあたたかいからです。一気に笑み生まれ、幸せに包まれました。今日は、仙台のコンサートがあるからだと気づきました。一体、何が起こるのでしょうか。風が冷たい朝に家を出ながら、お腹のぽかぽかと共に元気に会社に向かいました。夢中で仕事をしていて、気づけば七時前でした。慌てて仕事を片付け、何とか第二部のメッセージに間に合いました。「愛という素晴らしさ」「ある意図や目的がまったく介在しない愛」との言葉が響きました。第一音から、光の雨が全身に降り注ぐかのように包まれます。大きな川の流れに揺蕩うように、身を任せていました。通勤帰りの人たちで込み合う電車の中にいながら、まったく別次元の光に包まれていました。体の隅々まで、歪みも曇りも何もかもが光を通してなくなっていきます。一切の魔も入ることなく身を任せることの、この素晴らしさを愛というなら、これ以上の愛があるのでしょうか。命の深奥に揺さぶりかける、この深い音は何を呼び覚ましているのでしょうか。目を閉じたまま、考えていました。命の根源でした。すべての源である愛でした。自分が大きく何かに気づき、今までにない何かを乗り越えようとしている時ほど、先生の音は命に沁み入ります。素晴らしいコンサートをありがとうございます。