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吉田修一『国宝』を読んで


「いだき」が始まった日、と聞くだけで、またやる気が出てくる。良いときにであった自分の幸運をうれしく思う。さあ、ともに新しい人生を!

朝日新聞に連載されていたときから読んではいたが、あまりにも長いので、読んでないところもあり、あまり納得出来ていなかったのだが、同僚が読んでいるのを見て、やはり単行本を買ってきて通読したのだった。歌舞伎の女形の名優の波乱万丈の成長譚で、その人間模様がリアルに描かれ、かつ、「芸」に精進する生き方が活写されているので、結構面白く、期末試験の多忙の中三日で上下2冊を読破してしまった。あまりにもリアルに描かれているので、実在人物のだれをモデルにしたのだろうと、ついつい考えてしまい、ゴシップを楽しむ気持ちまで出てきて、これはそう浅薄に読んではいけないのだ、一人の男の人生を通して、「ほんとうの自分」を生きるとはどういうことかを、テーマにしているのだと思い返した。
ただ、だれが読んでも、小説の中の「三友」は「松竹」のことであるくらいは、明白なことなのだが、それがわたしには胸に刺さるのである。実は、わたしは、松竹映画株式会社のかつての専務取締役の「長男」なのだ。だから、歌舞伎と興行界のつながりや、役者たちや芸人たちの実態、暴力団とのかかわり、さらには当事者たちの家族や家庭のありさまなど身をもって知っているのである。そのことを小説と突き合わせて云々したいわけではなく、これを読んでいるうちに、ついついわたしの少年時代のことが蘇ってきて、実に複雑な気持ちになってしまうのだった。
それで、さきの同僚に請われるままに、今日は「昔語り」をしてしまった。すると、その人は、「おもしろい!それはぜひ小説にしてもらいたいものだ。」などと喜んでくれるので、うれしいような、恥ずかしいような、困ったような気分になってしまった。それこそ、喜久雄が辻村を赦すような気持ちで、恩讐は彼方に行ってしまい、「波乱万丈」「集合離反」「会者定離」云々などはもうどうでもいい、これからもう一度自分の人生を創っていくばかりという気持ちになるばかりなのだ。それこそ「苦労なさったね。」といわれてもちょっと違うし、「小説になるね。」といわれてもうれしくもないのだ。いや、話を聞いてくれた同僚を恨むつもりはない。ますます「ほんとうの自分」を生きようと強く思えたのだから、むしろ感謝している。

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