双頭の鷲の嘴の下で
迎賓館コンサートに始まり他に代えようのない貴重な新年の催しの数々に参加する機会をありがとうございました。
幻のコグリョカフェには先ず書額を頂いてから詩をお願いすると決めて参加させて戴きました。高麗屋さんに入ると目の前に日ごろ繰り返し浮かぶ言葉がそのままありました。惹かれるものがありますが次へ行こうと、と心澄ませばより内面に通じる感覚の書があり、それも有難く拝見させて戴きました。そして感覚的にはかすらないのですが、これを忘れていはいけない、自らもその光と一つになることを諦めることなく生きる、ということで第三の書を僭越ながら選ばせて戴きました。
どこまでも澄んだ光
世界の中心に輝く
昨年の桐箱「希望」と今年の桐箱「飛竜」の真ん中に置かせて戴いております。希望は人にとって自分が希望となるようにということで、飛竜はそれしか目に入らなかったので頂いたものです。内面の詩は高麗水「永遠の愛」の周りに他の機会に頂いた詩と並んでいます。
ノモスという全く知らないが故に知っているつもりになることなく何なのか考えながら聴かせて戴きました。制度ということであり、かつ暴力装置を伴い人を枠組みに嵌め込む制度ということなのでしょうが、先生のお話ですから普遍的であり自分には関係ないという例外はないのだろう、自分はどうかと考えました。よく首の後ろに電極でも刺されるように痛くなることや受講前に散々苦しんだ偏頭痛と関係あるような気がしました。幼稚園の時に砂場に水を撒いて泥遊びをする時間があり、何度やれと言われてもやりませんでした。とても繊細で敏感なお肌でしたので汚れるのが大嫌いで汗も嫌なのに泥なんてとんでもない、もし蕁麻疹や湿疹がでたら責任とるのか、とこれは回避し続けたのでした。お遊戯の時間?とかもなぜやらないと問われ「あんなの幼稚だから」と答えたら「ここは幼稚園だぞ!」と怒鳴られたことは覚えています。結局、隔離精神病棟送りが決まりそこで人生終わるはずだったのが親の政治力で生き延びました。皮肉にもその時、動いてくれた議員で後に閣僚になった人は国民総背番号制の推進担当でした。その後もずっと放課後に一人学校に残され教務主任との個別面談とか作文や心理テストなどが続きます。やがて自分でも色々と調べ続け、これは勝てない、自由などない、最初から勝負になっていないと諦め、せめて世界を動かす何かの顔を見てから死のうと一番近づける可能性がある企業を選んで就職し死ぬ寸前まで働き続けたのでした。自覚していることはまだいいのですが、本音を押し殺し自分でもわからなくなってしまう経験を幾度も重ねてきたなとの実感があります。
いだき講座を受けた時にここなら可能性がある、他にはないことは分かりました。ただずっと答えを出せていないことは受講した自分はどうするのか、です。
いよいよ答えを出す年が明けました。