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原爆記念日に


二つの原爆記念日があり、子どもの宣言や被団協の会長の言葉に胸がいっぱいになった。わたしの実父が広島で被爆したことは、前にも書いたが、毎年夏になると顔にケロイドが醜く浮かび出る実父の顔を、わたしは正視できず、それとは別の家庭内の事情とともに、実父に対する「疎ましさ」の象徴のように思えていた。軍隊勤務で爆心地の半径1.5キロ以内の電車の中で被爆した実父に何の「罪」もないことはわかるし、それを家族との疎遠の理由にしていたわけでないことも承知で、広島の原爆忌=「不幸」な父の存在になってしまうのだ。その実父も亡くなって25年ほど経ち、ふだんはあまり深く考えはしないのだが。やはり「非核・非戦」の誓いを改めて立てたいと思う。
よく、日本も核を持てばいいのだ、そうすればぐっと発言権も拡充するし、世界を戦争のない世界に導けるよ、という意見を耳にする。なるほど、そのために原子力発電所をやめないでいるのか、と妙に感心もするのであるが、やはり武器を誇示し合っての戦争抑止論はあぶなかっしいと思う。ただ、自国は核を保有しながら、イランや北朝鮮は許せないというアメリカ流の考えはもっと珍妙であるが。ずっと以前、先生が「核」無用論をおしゃっていたのが救いだ。「核」なんか持っていても何の役にも立たない世の中を創ればいいのだ、ということだろう。そのためには、人間の頭を変えればいいのだ。すぐに「勝ち負け」を気にしたり、「損得勘定」に走ったり、「比較」で自分を律せず、自分のやりたいことや願いに前向きに生き、他者とそれを分かち合って生きていけばいいのだろう。「存在を問う」ということだろう。
東京と違って、西日本は酷暑が続く。青臭い「非核・非戦」の思いであるが、今度15日に埼玉の「丸木美術館」で行われる集会でも訴えてこようと思う。「にかた節」の節に載せて歌って来ようと!

 

 

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