動き、伝わる
あれから一年、私にとって忘れられない五月のGWが終ろうとしています。医者にも見放された絶望の中で偶然の出会いにより、今の私の左足があることに感謝する今です。
母の誕生日祝いの予定はキャンセルとなり、「ごめんね」と泣く体調が悪い母に対して、私は何ができるのだろうと考えていました。伝わる母の思いは深すぎます。老いることは駄目になることじゃないと、唇を噛みしめました。母が喜ぶことを、すべてやると決め動きました。こぼれる笑顔と美味しそうに食べる母の姿、それだけで何よりもありがたいと、数え切れない感謝のお誕生日祝いとなりました。別れ際「ありがとうございます」と深々と頭を下げる母。いつから母は、そう言うようになったのだろうと、小さくなった姿を見つめていました。「あんたの言う通りになったね。お金なんかなくても動ける時に行かないと、いつか行きたくても行けなくなる時が来るって。」母の心中を図りかね、言葉が出ませんでした。
そして今日、「ずっと何もやる気がしなくて、どうでもいいと思っていたのに、久し振りに料理をしたの。美味しかった。」と、嬉しそうに弾む母の声が受話器から届きました。「暑い中、足の悪いあんたが一生懸命買ってきてくれたものを見ていたら、いつまでもグダグダしちゃいられない。」そう思ったそうです。何も言わずとも動けば、伝わり、動きに変わる。私の中にずっとあり続けたのは、先生のお母様のことです。今年九十二歳になった母、まだまだ元気でいていただかないと喧嘩もできないと笑う今。すべてに、ありがとうございます。