KEIKO KOMA Webサロン

力を得て!


「イダキやってれば、コロナに罹らない、というのが一番間違っている!」
やっと視聴できた先生のお話の冒頭で、こうおっしゃっていたことが、恥ずかしながら、胸に刺さった。どこか誰かに頼ろうとする弱さや、宗教のように捉え、奇跡を願ってばかりいるような怠慢さが浮き彫りになってしまったからだ。でも、先生が辛抱強く、「いだき講座」の背景と基盤の超越について話してくださり、細心の注意を払い、「禊」の実行によって、感染しないようにし、かつは、「隔離」状態のなかでも、仲良く生きて、新しい自分に変容していくことが大事だと肝に銘じることが出来た。アマテラスオオミカミは、古事記神話の頭を越え、全く違う様相で現れた。「わが民」とは聞こえなかったが、何か明るい美しさと沢山のエネルギーを得たことは確かだった。これでわが在り様を刷新し、自分の存在を問う能力を得た。お陰で、「金の心配」もすぐに消え、「老齢」の不安も吹っ飛び、若々しく生きていけています。ありがとうございます。今日は、自然からも力を得ましたので、そのことを付けます。

小判草を知る

今日も短い山歩きをして、岡本の天井川(八幡谷)に降りてきたところ、紫の野草に目が留まる。写真に撮ろうかと、携帯を出していたら、そこで休んでいた奇妙な女性が「こばんそうや!」と教えてくれた。煙草を片手に近寄ってきたので、同行者は身をかわしてしまったが、カメラを捜すついでに、グーグルで調べたら、全く違う写真が出てきたので、ちょっと気まずくなって、わたしもその女性から離れて歩き出してしまった。「小判草のおかげで6分予定が狂ってしまった。」と同行者が笑う。ただ、紫の小さな花が5月の光の中で輝いていて、とても印象に残った。
今日でもう6回目かもしれない。阪急芦屋川から高座の滝を経て、地獄谷を行き、途中から梅谷の尾根を登り。魚屋路に出て、保久良神社に下る3時間ほどのコースである。行くたびに自然は変容し、季節が流れていくのが分かり、飽きることがない。沢も尾根もルートファンディングが必要だし、近い割に深山幽谷の趣きもあり、かつは神戸市の全容が眺められる明るい道筋なのである。ここを歩き、体と気分を洗い、新鮮なエネルギーを得ることは、もう人生の至福である。クヌギの新芽の薄赤い花のような美しさが、今日はもう新緑のベールのようになって、5月の青空に輝いていた。沢のせせらぎ、野鳥のさえずり、爽やかな風のささやき、コロナ禍の憂鬱を払い、結ぼれた気持ちを解きほぐしてくれる。ところが、芦屋川からの道には、「登山は自粛してください。」と何枚も張り紙があった。(岡本側にはなかったが……。)登山のような、一人一人が自主的に行動することが大切な領域までに、公の規制が入るのは、面白くない。公序良徳に敏感な同行者は顔を曇らせる。ただ、「密集」とは、かけ離れた状況だし、このコースは、だれも知らないので、心配は無用なのである。それでも高座の滝や、保久良神社には、家族連れやハイカーがわりといた。先の奇妙な女性もその一人。
帰宅して、仕事場に来てから、PCで「小判草」を調べたら、岡本で見つけた花は、やはりそうだった。その特異な葉の形が小判のようでもあり、熟れた穂が小判のように見えるからか、そういう名前を持っているのだろう。紫の花も美しかったが、「小判」に出会えたことも、「金」の心配を吹き飛ばしてくれて、うれしかった。同行者と「かぐや姫」のいてた竹の筒の黄金のことを話しながら、駅まで下って行った。

 

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ウラジオストクでの写真です
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比叡山 お茶室にて
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