創造の源
抱えきれないほどのあふれる宝を頂いて帰ったような体感です。素晴らしい府中でのコンサートをありがとうございました。
京都、東北でのコンサート、講座とこの度は一大事と全て身を運ぶようにしました。遠征から帰ってきたような、本当に山を越えた体感を経てのぞんだアントレプレヌールサロン、府中のコンサートでした。
DXについては、幾つかデジタルの企業で仕事をしたことがあるのですが、一見、新しいものを追いかけて実行しているようでも中身は空虚で、居場所のなさ、疎外感を感じることがありました。若い方々の離職率が高く、うつ状態になられる方も少なくない現場でした。また、それまでDXの本をめくっても面白いと思えず、部分での効率化という認識で真の意味も分からないままでしたが、アントレプレヌールサロンでも伺った先生のおっしゃるDXは、全体であり中心があり、世界の人たちが新たに生きる未来が実現する大いなる可能性が見えてきます。あるのぞみは、今にはじまったことではなく、それがデジタル・トランスフォーメーションで可能になると、コンサートで一致する経験を致しました。
府中のコンサートでは、第一部がはじまると涙が止まらなくなり、生まれてこれなかった妹か弟をハッキリと存在として認識し、更に涙となりました。大人となっている姿でした。一緒に生きている、一緒に生きてきた感じがあり、はじめて共にあることがわかり、申し訳ないやら感謝とで涙が止まりませんでした。また、なぜか子どもの頃、読んで嫌な気持ちになった、恐ろしい漫画のことが突然原体験としてあったことがよみがえってきました。もっと夢のある、良いものが読みたかったと。先の見えない苦しい中高生の頃でしたが、15歳くらいのときにふと希望ある出会いを未来に希求する言葉を書いていて、言葉にした時、生きていけると感じました。それから言葉を失うべく過ごしていましたが、今となれば、そのことが未来 ― 先生と高麗さんとの出会いのことだったとわかります。いだきに出会って、言葉を取り戻すことができました。愛から生まれるものが世界に伝わっていけば、子どもたちのもとに愛が伝わっていければ…と心の内にのぞみが広がっていきました。パイプオルガンの演奏では、立ち現れる存在に圧倒され、時には鳳凰が見え、神が立ちあらわれる空間に生命清められ、精神がピッとしていきました。
コンサートには6年前くらいより時々いらしていた方が、コンサート前に10月からのIDAKI講座アントレプレナーコースを申し込まれました。一番嬉しいです。講座を申し込んでからのコンサートは全然感じ方が違うと喜び露わにしていました。はじめてお会いした時、お渡ししたコンサートチラシの先生のお写真を見て「これ行きたい、写真をみてそう感じたの」と即座におっしゃったことを想い出しました。かつて大津で高句麗伝説の飛び込みをしている時も、チラシの先生の書かれた文字に惹かれ、行くことにします、とおっしゃった方がいらして、チラシ1枚でも出会う方は出会うのだと原点に立ち戻りました。ボランティア活動も、ポスティングは地域によっては厳しくなり、先日のボランティアミーティングでもやり方も仕切り直しを考えておりました。盛岡では限られた時間でしたが、飛び込みをしていく中で、人とのふれあいがなにより愉しく、未来を感じました。人と出会うことを増やしていくと仕事、コーヒー販売と展開していこうと考えます。
8月から体調がなかなか本調子に戻らず、バランスを崩している状態となっていますが、大変革期とわかり、変化の時を超えて実りある未来を築いていきたいです。府中のコンサート、誠にありがとうございます、本日も伺わせて戴きます。