KEIKO KOMA Webサロン

再燃


いつも先生のコンサートで経験することは「突然」で、突然ではない出来事は今まで経験したことは無いのですが、昨日のコンサートでも突然の出来事を経験しました。コンサートホールの一席に身を置いて参加出来まして、誠にありがとうざいます。コンサートが始まり最初の10分くらいは、とても長い時間に感じられました。それは、自分の頭に鉄製の輪か、兜のようなものを帽子のようにすっぽりとかぶっているような感じが突然現れて苦しかったのと眠かったのとがあったからです。この輪みたいなものが、朝から何だか身体にある疲労感の元凶だとも自覚しました。きっと何でもない日常の中で突然こんな自覚が起こっても、その果てしないことに恐怖を感じます。しかし、コンサートの時は解決していただけるので、安心して自らの解決すべきことと対峙し、自覚できる場が生み出されるのです。しかもその自覚の度合いといったら最高潮で、解決すべきことの全てが明るみになって見えても、一体何がどうなったのかとパニックになることなく安心して音の生まれるその場に身を置けることの幸せを感じます。
音に身を置いていると何だか胸の奥というか、もっと正確には肺の奥の方に暖かい日光が当たるような心地があって、その身体の奥から溶けてしまいそうな心地は、やっぱり日光に当たっているような心地よさでした。それも、いつか遠い日のときに、こんなに心地いい光に全身が照らされて包まれるようにあったことが在ったっけなと思い出すような心地でした。コンサートで、そのやわらかい光にじんわりと胸の奥まであたっていると心の内がとてもきれいになってゆくような気がしました。心の内に、美しい西洋風の城が見えた気がして、身体の中、心の中がきれいになるとこんなに美しい場所が身体の中にはある事を知ります。そしてそこには美しい存在が居られるような気がして、かるくほほ笑んで会釈したようなその方は言葉にすると『神』となってしまうような気がします。しかし仰々しくもなく、自分は何だとか偉ぶるようなわけでも全くなくて、ごく自然にそこに居る姿に、目が合えばかるく微笑んでお互いに会釈するような存在でした。実際に姿があったり、目が合うわけではないんだけど、出会うとはこういうことなのかなと、全身が暖かいです。お久しぶり、という言葉が声として聞こえるわけではないのに、その姿からにじみ出る存在感が、そう語っているように聞こえるのです。何もしないのに、何も云わないのに、そこに存在しているだけで、そこはもう平和というよりない場所でしたし、当然のように『愛』もあり、当たり前のように心の中に輝く芯はあるし、曇りやまどいはないのです。それも、私個人の心に生まれた場所というわけではなくて、ある全体的なそういう場所にアクセス出来たような感じがあります。何処か、もっと広くてもっと全体的なところと通じていて、本当に広い世界へ行けた、広い世界へ通じてその世界へとび出して生きていけるような感じがしていました。何とここまでが第1部での経験で、この後第2部の経験へと続きます。私は大事なことはいつも心の奥底にしまっているのかなと想うほどに、頭の中では記憶していないことが私の胸の奥では焼き付くようにしてあり続けたことを知る経験が起こりました。こんなに些細なことでもあきらめてはいけないのか、と感じるほどに、とても幼い頃に私があきらめたことの記憶が私の内で燃えるように浮かび上がっていました。そのとてつもなく鮮明な場面の画がはっきりと思い出されました。それは、どんなに子供の頃でも、もう大人になった今でも敵わないようなことを、一人前に経験していたのだとしたら…と想うと、私の人生の辻褄はひとつ符合することになるという経験でした。それなのに私は長い間、“まだ子供でどうしようも無かった”の一言で片付けていたし、その頃の自分は周りの状況を鑑みて、何かに配慮と遠慮をして自分の気持ちを押し殺して、そして幼いながらも一人前のようにあきらめることまでしていたなんて、ませていたなと当時の自分に笑いかけたい気持ちでした。そして、幼い頃からそんなことをしていたんじゃ、その後の人生、何に思いっきり生きられるというのだろう…、と。そういうことが昨日のコンサートの第2部で起こって、自分の心の内の本当のことに気づきました。自分の心の内のこと、つまり自分のことであるのに、いつのまにか訳がわからなくなっていたのです。「心の中」と「頭の中」というそれぞれ浮遊して交わることのなかったそのふたつが、ひとつの光のような矢に射抜かれて、一致したような体感でした。自分の心が丸わかりだと呆然として立ち尽くしてしまうことを初めて知りました。そのことがとても面白くて、とても不思議なことが起こったみたいで、熱かったのです。何というのか、心が、とても熱かったのです。私の心のふたが開いたのだとしたら、それはパカっと静かに開くというものではなかったのです。コンサートでのその時の私の内面的な衝撃と衝動からするときっとものすごい勢いがあって開き、ものすごいエネルギーが勢いよく吹き出て、エネルギーの対流が起こっていたように感じます。こうして、本当の気持ちがわかれば、そして頭と心が心地よければ元気で生きられるのに、私は何を押し込めて閉じ込めてくもらせているのか、と。コンサートホールで生まれる音によって美しく澄んでいった内面に、25年の年を経てくもりなき姿で現れた心の画でした。そして人間は健康で生きられること、人間は元気で生き続けられること、そして人間の生命の複雑なこと、等々が私の生命に駆け巡りました。
内面に、本当の美しさが生まれた生命がどれだけの可能性を秘めているのか、その始まりを経験しました。この先に、まだ未知なる広大な世界の広がっていることを予感しています。

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多賀城文化センターにて:2
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