再出発するぞ!
黙って座ってピアノを聴いていれば「運命」は解放され、新しい生命を生きられる!こんな「イージー・ゴーイング」なことはないではないか!――1992年、そう人に勧められ、わたしは受講した。そして、実際、それまで経験をしたことのない晴朗な気分と明るい自信を得、解放されたと確信した。それから、しかしながら、「苦境」と「遭難」の連続だったが、乗り越えて、元気に生きて、頭も賢くなってきている。「自分を守ろうとして生きている。できるかできないでなく、やりきること。」「好き嫌いでなくやりきること。」と導かれた。『よし、日本一の国語教師になって活躍するのだ!』と決めた。そして、それはかなりの「ハード・ワーク」だった、否、である。多事多忙で、スリリングで、楽しく、愉快であるが……。
昨夜の応用講座と存在論で、気づいたことは、それなのに、「そんなうまいことなんてあるものか!」「運命なんて変えられるものか!」「世界平和なんて、夢のまた夢!」と心の隅で思っていたということ。なぜなら、周囲の知人がみんなそう言って、「嵌まっているだけ。」「洗脳されたな。」と言うものだから。受講中のとき言われた「周囲のことを気にばかりしている。」そのものだった。――それが昨夜一掃された。「イージー・ゴーイング」だけれど、「ハード・ワーク」というふつうの考えでは矛盾するような、全く新しい人間の生き方に出会ったのだということ。単に病気が治るとか、仕事がうまくいくとか、だけではなく、先駆的な生き方が保障されてるのだ、と分かった。もう周囲の目や懸念なんてくそくらえ、ますます活動していこうと思った。
応用講座が終わったとき、とても暑かった。存在論が終わったとき、とても心が軽かった。そして、休憩のときのコーヒーが最高においしかった。先生に出会えたわが人生に悔いなし!と叫びたかった。