内面辿る旅
大津から瀬田川、宇治川、木津川沿いの道を奈良に向かって車を走らせる時、かつて大陸から海を渡って交流していた高麗人たちに想いを馳せます。奈良「高句麗伝説」の最初の音楽が流れ、高麗さんの「ならへの道」の一言に深く静かに内面辿ります。心の奥底に、先生の音によって今まで到達したことがない分厚い壁のようなものに穴があき、さらに奥があることを知ります。正に胸が開き新しい第一歩のはじまりです。幼い頃、親と離ればなれに暮らしていた頃の誰にも語ることのできない思い自分でも認識できないものが溶けていくです。幼い頃の境遇は運命という過去の繰り返しにより起きたこと、自分ではわかりようもない深い深い胸の内が高句麗伝説で明かされ涙とともに何も無くなっていきました。大陸の広い広い空を感じさせる先生の音は、いつしか遥かな世界へと広がり宇宙空間と融けあい「自分」という境は無くなっていきました。あるのは生命だけという感覚です。初めて高麗さんをお乗せして奈良での活動にご一緒させて戴きました時のことを思い出していました。アポイントメントを取っての営業、飛び込み営業、さらにはVIPクラスの方との面会の場面にもお連れ戴きました経験が身体の中に残っているのです。高麗さんの営業活動はノウハウではない生命活動そのものだから体に残っていると感じます。明けて16日のマーブリング制作では、ある方の書き込みから「いのちひとつ」は身体を感じることと書かれておられ、奈良をご一緒させて戴きましたとき高麗さんから教えて戴きました「お腹を感じて」相手の方とお話することと繋がり、マーブリング制作中は身体を感じることに努めました。身体を感じると全体的になっていき大変心地よい時間が流れます。高麗さんはじめ、仲間たちと一緒に居れることが、うれしく幸せです。応用コースに向かう道中も高麗さんをお乗せする機会があり、この様な巡りに感謝よりありません。鴨川を渡る時、2008年からはじまった何かを感じキラキラしてワクワクします。
応用コースでは、自分の言葉が生命の言葉になってないことを先生のお話にドキッとし納得します。「親の目を気にしていると、喋る言葉は親を気にして喋っている」正にその通りでわかると色々なことが紐解けていきます。母には幸せに生きていて欲しいと願う気持ちがありながらも、心通い合っているとは言えないことが苦しくて何とか母のことをわかりたいと思っていました。母を気にして喋っている言葉では自分の言葉ではなく対象化してみている言葉なのですから、気持ちが通じるわけがありません。母音の元を辿ると「人間は自分の発する言葉によって、より人間になったはず。それが自分を抑圧する言葉を話すはずがない」とのお話に、言語の違いを超えて先生の探求された「言葉」の源を表現されておられる即興演奏という手法に改めて畏敬の念を抱きます。「王の一言に誰もがひとつになる。その一言を発するのが王」ということは高麗さんといっしょに何かをさせていただくときに経験しているので、よくわかります。言葉を紡ぐことは日々、話し、書きを重ねていくことが必要と感じます。このkeiko koma web salonがあり、先生が読んでくださることで成長していける場があることがありがいです。「内面的なことが意識に上るには時間がかかるけど、勝算あり。空間変わると段々意識に昇ってくる」という先生の力強いお言葉に、世界の現状を憂いるのではなく今日からの4日間連続コンサート、さらには6月の20回というコンサートに日々向かうことが平和な世界を創造するすることと受け止めます。応用コース、ビデオ講演会終了後、先生と高麗さんをお乗せして比叡山へと登る巡りに、緊張しながらも愛に満ちたここが生きる場でありそのままの自分で居れる場があるという生命の安堵と幸せに満ちるのです。応用コース、ビデオ講演会をお聞きしながら、大津の街で何かをしたいという気持ちが湧いてきています。その気持ちをいつもの癖で頭で考えると違うものになってしまうので、このお腹に感じる躍動感を大事に動いてみます。
本日からの四日間連続コンサート、よろしくお願い申し上げます。ありがとうございます。