KEIKO KOMA Webサロン

内を浄め


暑い日でしたので、府中の森にて先生のコンサートを経験させていただくひと時は、より生命がやすらぎ、安堵することを感じ、ありがたい気持ちでいっぱいです。本当に毎日がコンサートであったら、どんなに良いでしょうと今日も心から感じました。

第一部「いのちの聖なるちから」

「いのちにはたらくちからは様々あります。整理整頓してどれが優位であるかということを特定できません。少なくとも我々のいのちは何が善なのかは生来わかっています。善を成育していくちからをここでは「聖なるちから」といいます。一見良さそうな行動で実はとんでもないちからになり、当然とんでもない未来に導くようなことに満ちています。コロナ禍になり、人のちからを奪うような事柄、言動が多くなりました。自分で考えることによって正しい行動、行為に即座につながる「聖なるちから」が必須です。」

パイプオルガンの音色に癒され、心身が穏やかですこやかに居れることに心底安堵し、ずっとここにいれることを望みます。大宇宙の中心である生命の位置を教えていただき、何があっても動じずに揺るがぬようにと、確かな位置をしっかりと身に覚え、身につくように心地よい音によって正確に決まっていく体感でした。心身が整い、ただ椅子に座っているだけで余計なものは整理され、祓われ、整っていく感覚が心地よいです。何も余計なことを思わずに、整っていく心身に感謝しました。

ピアノの音は正しいことを教えてくださいました。正しいことは闇に染まらず、何があっても光は光としあるように、美しい光のままにあり続けます。大地と天の彼方がつながり、美しい光が立ちます。正しいことは心地よく、矛盾もないので、歪みも淀みもなく、美しいです。正しいことを生命をもって教えていただきました。言葉によってではなく、ピアノの音によって教えていただいたので、生命が経験し、覚えました。このすっきりとした美しさがなければ正しいことではないということを体でわかるようになると感じ、ありがたいことと感謝します。そして論理的に考えていければ、揺らぐことはないと考えます。メッセージにしていただきましたように、コロナ禍になり、本当のことをわかりたくて様々な文章を読み、話していることも聞こうとしていますが、今日のコンサートで経験し見たような光が天の彼方へ通じるような美しい光も流れも見えないことばかりで、何が本当なのかがわからない表現が多いです。今日は、そのことによってまとわり付いたものも祓っていただき、心身が整いました。

第2部は、「聖なるちからがはたらくいのちをさらに」

人は普通に生きていたら、問題になるようなことは極力なくしてしまうということを心がけるのではないでしょうか。生まれながらにして問題を背負い、本人が何ら意図しなくても問題を起こしてしまうようなことは今や難なく解決可能となりました。最も卑近な例でいうと、病気になりたくなければ、病気になることを避ければよいのです。食べ物の組み合わせに気をつけるなど。。。「聖なるちからがはたらくいのち」はさらにさらに広がり、奥の深い真を生き、さらに奥を極めようとします。」

メッセージを詠ませていただき、いだき講座を世界にお伝えせねば申し訳ないと感じ、涙滲みました。普通であれば生まれつき問題を起こす運命をもって生まれたら、自分の気持ちと反して問題を起こすように生きてしまうのです。私は運命のままに生きることが最も悲しいことと感じていました。先生に出会い、運命解放される奇跡を経験したので、生きてこれました。この事実を世界にお伝えせねばならぬと、新たに本音が生まれました。コンサートは世界にお伝えするようにし常に表現し発信していますが、いだき講座をお伝えすることはなかなかできていません。演奏される先生が運命までも解決できることは、常に表現していますが、いだき講座として今後はお伝えさせていただくことに尽さねばならぬと目が覚めるようにし、胸の内がドキッとするほどの働きかけを受けました。演奏は聖なるちからを注いでいただいている体感でした。内が綺麗であれば、より聖なるちからがはたらいてくださいます。人間とし真っ当であること、内面が美しければ美しいほど、聖なるちからがはたらいてくださいます。人間とし、より美しく、より清く生きることがうれしく感じ、生きがいのある人生を生きていけますことに感謝しながら、心地よい演奏とひとつにありました。私たちは、内面を美しく生きることをどんどん深めていく喜びを感じていけるのです。聖なるちからがはたらいてくださる心身を経験しました。とても力強く、勇気づけられます。ピアノのただならぬ演奏には姿勢を正し、神と出会う姿勢が大切と姿勢を正すと自然と心身が浄められます。大宇宙とつながり、大宇宙の中心である生命を感じます。この世で筋が通らないことに対して怒ることもなく、自分は常に大宇宙の中心である生命で生き、光を濁らすに光のままに生きていけばよいのだと学びます。ある時から、胃が痛くなり、驚きました。なんともなかったので、とても気になりました。自然に生まれる言葉はお腹の虫が疼くと心の中でつぶやいていたのです。お腹の虫が疼く時は、腹に収めることは答えではなく、かといって外に出すことも答えではなく、聖なるちからがはたらく生命となり、聖なるちからとひとつになることが答えであると経験しました。いつも腹がたったり頭に来ることが多いので、今日の経験は救われました。聖なるちからとひとつで生きる経験をさせていただき、覚えました。大変ありがたいです。明日も三鷹にてコンサートがありますことがうれしいです。ありがとうございます。

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