共感こそがほしい!
今回の自分の失態と再起に向けてのドタバタで、一番欲しかったのは「共感」だ。「親切」は身に染みてうれしいが、それよりも苦労や苦心を分かち合って、共に過ごしてくれる機会だ。あたたかい「同情」よりも、ほんとうはほしいもの。いい年をして、なにを甘えたことを言ってるのか、自業自得ではないかと、叱られるかもしれないが、本音ではそうだ。引っ越しの大変さ、ゴミ捨ての難儀について、話を聞いてほしいというようなこと。わたしの書く詩を味わってほしいのだ。(ほめてくれというのではなく、分ってほしいのだ。)もちろんだれだって、自分のことで精一杯で、他人にかまけているほどの余裕はないのだろうが。だから、恨んでいるのではなく、ちょっと語ってみたくなったのだ。
同じような寂しい思いをもう一つした。頚椎の損傷で困惑している人に、普通の整体や整形外科の治療ではない、もう一つの道、野口晴哉師の「気」による整体はどうかと勧めたが、(『整体入門』という本まで貸し与えたが)まるで関心を示してくれず、見舞いに伺おうかという申し出も無視されてしまったこと。いろいろ困っている人に、「いだき」を紹介しても、何か怪しいことに勧誘されたような迷惑顔に出会ったときに似ている。目には見えないがたしかな「気」や、音に導かれ解放していく「運」について、「共感」できる人たちを増やしたい。増やしていきたいものだ。