全身と世界の改善のために
ほとんどノートは書けていなかったが、とても充実感のある「応用講座」だった。
まずは、「病気治し」「離婚調停」がメインではないということ。もう30年も前からわかっていることではあるが、改めて。みんな悩みや苦しみがあるからこそすがるような思いで来られているのだろうと思うと、「ここでは話せない。」などと言われるのは随分薄情のことのように、毎回思う。しかし、「全身の状態をよくなるように活動しているのがイダキ」とはっきりおっしゃり、言外に、ここに来て、表わし、訴え、考えてこそ、「光」が得られると示されていた。何か有難い現場に遭遇した感じがした。よく病気の人に、悩んでいる人に、「いだき」を勧めるが、「根源解決」じゃなく、一時的妥協でしかないことしか考えていない場合が多く、しらけてしまう。わたしたちは常に根本から問い直さなければならない。
つぎに、「世界の中での根源的解決」こそが目標であること。これもついつい日常の苦痛や悩みのために忘れがちであるが、この先、地球が破滅するかもしれないし、いつ戦争が始まるか分からない中で、個人や地域のことだけ考えるのはあまりにもエゴイズムでしかない。例えば、「お金」の問題にがんじがらめになっていて、お金さえあればいいように思っているが、金があろうとなかろうと、人間存在を表わし、「愛」を実現していかねば、もう明日がないのかもしれない。あまりにも“「不快」という「貨幣」”(内田樹氏の言葉)を使い過ぎ、その見返りばかり求めている。ここから脱け出さねばならない。
さらに、言葉だけではだめだということ。概念化や対象化のベクトルから脱け出してこそ、大いなる存在に出会え、見えないものも見えてくるし、勉強しなくても良い成績が採れるというようなこと。まだあるが、この続きは、「存在論」で。