光を求めて
お店で イベントを開催する中で、受講生と一緒に何人かの人をいだき講座におつなぎしたことがあります。ある方と2度目に偶然お会いした時にNPO高麗のことやコーヒーのこと、頭で組み立てて話すことなく自然に出てくる状態を初めて経験し、また六本木の 高麗屋さんにも伺ったことがあると聞き驚きました。その方が Facebook を通じてご来店され、お繋ぎした 受講生からコンサートに連れて行ってもらったことを聞き、求めているとはこういうこととはっきりわかりました。
とても感性の良いカメラマンで コンサートの経験がすごかったことを話されました。
個性的な方でもあり、インドや ネパールに旅をしたことがあるそうでネパールにとても心が動くと話していました。心に残ったインドの方の死生観、輪廻転生の考えに基づいてガンジス川の流域を最期の地とし、死期が近づくと集まってくると話されていました。私は姥捨て山のようなものであるのかと気になり、深くお聞きすると生活するエリアの向こうに 白い布のある一面があり、死は身近にあり生活の一部と話されていました。
以前より 先生から死が見えなくなってしまっていることが問題とお聞きして、初めてその意味が 彼女の言葉からつながりました。死を身近なものとして受け容れること、何か大切なものを教わった出会いでした。今 コンサートや講座をお伝えする心を養っていますが、やはり彼女にはそれを自然に伝えられました。
応用コースの中で先生が疎外を探求され、私は先生の趣意書から、また講座でのお話の中から金によって時間を使われる、労働を搾取される悲しみを知りました。体制の中で体制にはまらず生きること、中心にある光のままに生きること、それができるいだき講座の価値を私も 中心 に在り、いつも伝えられる 自分であること目指していきます。ありがとうございます。