光は光
いつかの高句麗伝説での、光は光という高麗さんの声が響きます。今年はクリスマスというイメージがまったくなく、改めて今日がクリスマスだということに気づきました。もうずっと先生のコンサートを経験してきたクリスマスだったので、当たり前ということはないことに 改めて気づくとともに、今年出会いの1日という形でいだきの方々と 集えて幸せでした。
パニック障害になり病気になるのはどうしてか、探求する気持ちがいだきに出会わせ、本当のことを知る人々に出会わせたのだと感じています。
闇の目を知る人は、人間の中に入っている霊がいなくなれば、刑務所に犯罪者はいなくなると話していました。ブラックキューブと言われる音源を設置したり、言葉を封じること等によって洗脳し、力を奪われていると聞きました。
先生がいのちの言葉を見つけられ、コンサートという形態で発信されていることはその逆をやっていることのように私には見えていました。
サウンドシステムが情報発信基地と書かれているのを見て、真の音を広げればいいと感じたのがお店という形態で仕事をやることにした一番の理由であったことを思い出しました。
どうしても普通に生きていてもこの影響を受けてしまうのがよくわかる 日々となっています。人の気持ちが荒んでいて、あちらこちらで沈むような重い空気や 苛立ちから緊迫した状態が生まれています。出会いの1日では最初の2つの上映会はあまりに眠くてずっと ゆりかごにいるようでした。そういえば 出会いの1日は高麗さんの魂の語りは集中して眠くならず、その前の上映会で調整されているかのように デトックスされているような気がしています。
いだきを語る Part2でもお話しされていた本音である光の言葉を広げていくこと。改めて語られる魂の真から放たれる光に、どんなに 闇が濃くても光は光と胸の内にこだまします。共有する空間からは未来への風 生まれ、ここが 生きる場…と、人間として生きる 生に目覚めます。今後の展開が自分の中でも 見え始め、自律して生きていくことの意味を知ります。
昨日の出会いの1日は先生がそこにいらっしゃるような気がしました。音源 も舞台袖で弾かれているのかと始めは思ったほどにリアルに響きました。ここから新しく生まれ変わり、新しいいのちとして生きていきます。ありがとうございます。