光の未来
京都事務所での、いだきしん先生「存在論」。十二使徒 全員が、復活したイエスに会い、各々の福音書が書かれ キリスト教が生まれたという事実。其々の使徒が 内面ではイエスと共にいて ’会える’ ように生きていた、という先生の声と御言葉が 今も胸に残り、深く感動しています。自分が 真の存在と ‘会える’ 身体になること。このことを考えたら、年頭に掲げた自分の個人の目標など全て表層であったと、今 胸奥の鈍い痛みが伝えてくれています。本当の目標、生き直しの大きな機会を一言でいただき 感謝の念に堪えません。ユダヤの神様が徹底的に人間を支配する枠を作り、その神の支配の中 現れたイエスが人間を解放し、神も変容し、それでもキリスト教が世界に浸透する現在に至っても 神が人を支配してきた影響は続いている、という御話。いだきしん先生が そのような人間の頭と身体に刻まれている意識の枠を次々外し、人類の真の開放をしてくださっていることがどれ程のことか。自分の頭の出来では正確には解らないながら、高麗さんの仰る「人類史上初」の偉業に触れ 震えました。
そして、この世に無い 未来を体感するデイケアがこれから建ち上がることを御聴きでき、涙が出ます。昨年亡くなった90歳過ぎの叔母は、在宅介護の時、週二度 近所のデイケアに通っていました。が、音楽を聴くのも催しに参加するのも 「子供だましだけど職員さんが一生懸命だから、楽しい振りをしているの」とよく言っていたのです。自分も何度か見学し、叔母が目配せしてくると 苦笑するしかなかったのですが、いだきしん先生が『懐かしの歌や音楽で過ぎた日を懐かしむことはしない。今から先に向かっていることをするだけ』ときっぱりと仰り、亡き叔母が手を叩いて喜ぶ姿が浮かびました。従来の音楽療法の在り方を全否定するのではないですが、光の未来を顕す先生の音を経験してしまったら、纏わり付く過去の重さは要らないです。
今朝、帰途の新幹線から 快晴の富士山を見ました。真っ青な空に聳える富士の姿は美しく、高麗さんのアララト山の詩を想い出していました。日本国の誇りである富士山を、今は自由に眺め誰もが登山もできる…。このような日本を 決して失くしてはいけない。痛切に感じます。
いだきしん先生、高麗さん、いつの時も真にありがとうございます。
岩村ゆかり