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“侵略の津波を止めて”


ゼレンスキーさんの演説には、比喩表現が光っていた。演説は、特にうまい比喩や言い回しが聴衆の心に響くものである。ただ、文章となると、隠喩は要注意だ。昨日の文章教室で痛感した。執筆者自身は、うまく言えたと得意然としているが、それが具体的に何を指すのか、よく伝わらない。本人に聞き糺しても、戸惑うばかりである。たとえば、独特のカウンセリングを体験して、「ごちゃごちゃと絡み合う思いが、それぞれの箱に収納され」ずいぶんすっきりしたのだと書いている。そして、「わたしを縁取る輪郭線が濃くなり、背筋が伸びる」思いがしたと。参加者はあまり気にならず、ずいぶん丁寧に記述していると肯定的だったが、わたしには気がかりが残る。これでは、ちっとも自分の本音の表現になっていないではないかとさえ思うのだ。「侵略の津波」の方は、「津波」が日本語であることから、ゼレンスキーさんが使うから、ここではみごとな表現になっている。演説は文学ではないのだから、細かいことはいいのではないか。
比喩、特に暗喩(メタファー)は、使い方が難しい。「スカイライン」や「山裾」のように、みんなが使いすぎると死んでしまう。(死喩)つまり、パっと働く感化力が弱まってしまうのだ。「本音」は比喩でしか語れないとも限らないが、安易な比喩は要注意だ。それに関して、「大きな塔は暗闇に沈んだ、博士は暗鬱に沈んだ。」(ル・グイン『四月の巴里』)の対句のメタファーはうまいと思う。

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