KEIKO KOMA Webサロン

使われる、無自覚の攻撃、原初の因


いだき先生、高麗さん、ありがとうございます。

絡み乱れ 絡み重なり
纏まる毬 固くを緩め
緩みひとつ ゆっくり手繰り
縺れ解け 漏れ出る光
真あらわる
遠く
輝く

「使われる」に関するクセからくる事象が混沌と波のように押し寄せてきます。
使われたから、使いたい
使いたいから、使われる
やっているほうは悪いことをしているつもりがない、「無自覚の攻撃」を最近よく、経験しています。するほうも、されるほうもです。

私はよく、優しいと言われます。
教えてあげたり、助けてあげたりが好きで、よくやってきました。
これは「良い事」だと、思ってきました。
しかしこの行為に、薄ーっすら、薄ら、「支配欲」のようなエネルギーが、かなり希釈された状態で乗っているような、そんなものがあったように、今思い出すと、そのように感じます。

これを受けた側は、分かる人には、これがかなりキモチワルイ思いをするようで、精神的にかなり参ってしまう状態で、ひどい場合には体調悪化に至るのだと、気づかされました。

自分は優しくしているつもりでも、その実は、相手に対して「無自覚の攻撃」をも一緒にしてきたんだなと思うと、とても心苦しく、これまでの私の行動、ひも解かれる歴史をひとつ振り返り、またひとつ振り返り、とてもとても深く反省、猛省しております。

そして、「支配欲」がある人は、それを逆手に取られて、逆に自分が支配されることがあるのも認識しました。

頼りにされたり、褒められたり、持ち上げられると、「力貸そうか?」「お金貸そうか?」を、ついつい、言ってしまいます。こんなアピールをすれば、この人は無償で何か提供してくれるだろう、という感じで、コントロールしてくる人が居るのだと、初めて知りました。

それも呼吸をするかの如く、自然な流れで差し込んでくるので、鈍感な私は「慕われている」と感じて、喜び、有頂天になっていたと思い出されるのですが、
これを世間では「舐められている」と呼ぶらしいというのも、初めて知りました。
そう認識したとき、自分もその人から「無自覚の攻撃」をされていたのだと、気づきました。

何故、私には「支配欲」があるのだろう?
それも無自覚に。

それは恐らく、
失敗しても失言しても失礼しても
ひどいことしても、ひどいこと言っても
支配されている側には、全て「我慢してもらえる」からなのではないか、と考えました。

上から目線も、我儘も、自己顕示も、こちらからの要求に何でも受容してくれているように見えて
「愛されている感じ」になるからなのではないかと、思い至りました。

つまり、自分は愛されていない、愛が足らないと感じていたからなのだと、そう思い至りました。
これこそが、私の真からの光を疎外する曇り、弱点を形成していく前の、それらを生み出す、原初の因でした。

しかしながら、最近の私は、
私のことを好きな人が認めてくれる私を、私が認める
という経験を経て、自分を取り戻しました。

自分自身の真からの光が、今では漏れ出してきているのを、少しずつ感じ始めています。
ありがとうございます。

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