何故は ない
私は時折、何で私?何で此処?と迷路にはまってしまうときがあります。世界を、人間の内面から変えられる人を探し「いだき」にあるとわかり活動しているのに。
探して、ようやく、生きられる場に着地したのだから、それでいいではないか、あるがままでいいと。此処で生きればいいと。
高麗さんのボイス講演を聞かせて頂き、何故と問うのは、大いなるはたらきかけを追っ払ってるとのこと。このタイミングでお聞きでき生き直す事ができます。
人間が人間の命を奪う、愚かな人類のニュースがあちこちから聞こえ、何故と問う猶予はありません。
何故は、ない。「どうする」といのちがはたらき続ける事を心より欲します。
何故?の愚かなループは、その猶予はありません。