KEIKO KOMA Webサロン

何千年も経ったように感じる一日


日帰りの京都での1日は大変な1日となりました。経験していることの人生変わる深さは、何千年かかっても経験することのできない内容でした。無事に東京に帰り着き、ほっとしています。久しぶりに新幹線にて移動しました。ホームにて同じ車両に乗る人の顔つき、目の表情を見た時、不安を感じました。目の焦点は現実を見れずに、幻想を見、顔つきは、やはり現実を直視できずに、外れています。正におめでたいという言い方よりない状態の日本人ばかりで、不安を感じたのです。事故は外れた状態の人が起きやすいことを感じていたからです。私は子供の頃より事故や事件が何故起こるのかをわからないと安心して生きていけない世の中と身にしみ感じており、事故や事件はとても人ごとには感じられず、自分の事のように考えるのでした。日本人の生き様を見た時、いつ何が起こるか知れないとぞっとしました。これでは日本は失くなってしまうと身にしみ感じました。

京都事務所にて、楽しみにしていた郡山にて開催しました「高句麗伝説」を見させていただきました。何より驚いたことは人間の生命の内に悪魔的なものや魔物、化け物と表現するよりない物が消えていったことです。最も美しい生命の光が表に現れ、やっとこの世で最も美しい真の光を表し生きていける空間が拓かれたことに感動しました。郡山、盛岡での「高句麗伝説」コンサートが終わった後に、全体を調べた時、悪魔は存在できない空間と変わっていました。目に見えない世界が変われば、目に見える世界も変わります。人間は人間となるより生きていけない時代が訪れたのです。

上映会ではアルメニアの詩を詠みはじめたところくらいから、とてつもない睡魔に襲われ、驚きました。どうにもならない程眠くなり、生き方を考えざるを得ない状態であることを自覚しました。昨夜は眠れずに朝を迎え、京都まで来た故かと考えましたが、そうであるなら何故眠れなかったかが原因にあります。頭の問題で眠れず、上映会にてあるがままが現れていると受け止めました。いずれにしても私は日本の危機と人類の危機を生命をもって感じてしまい、ビデオ講演会では滅ぶことばかりを話してしまいました。当然ながら滅ばない生き方をみつけたく、先生に出会い、運命を解放していただいているのですから、なんとしても生き延びていかねばなりません。それも今は個人のことだけでなく、人類全体の存亡がかかっているとはそのまま見え、わかるのです。

応用コースでの先生のお話は上記の経験がありましたので、生命に沁みわかりました。人類全体、世界全体の危機にあることは甚く感じています。それもこの30年にかかっていることも見えるようにわかります。この場に及んで個人のことだけで生きていたら滅んでしまいます。人間はどうやっても戦争をすると、戦争をする愚かさはやめなければいけないと強くおっしゃいました。戦争だけは何があっても阻止せねばならないとのお言葉も深く心に受けました。愚かさは辞めるとお聞きした時、眠い頭の状態が変わり、冴えてきました。応用コースがはじまっても気を抜けば眠ってしまいそうな眠さに程ほど呆れてもいました。寝ないとこの眠さはとれないと思っていましたが、眠ることで解決する訳ではないことを今日は身をもって経験しました。わかれば解決するのです。やめるべきは愚かさです。そして、もうひとつ気づきました。先生のお母様が、具合が悪くなり東京の私の家で皆でお世話をさせていただいた時、こんなに幸せなことはないと、ご姉妹に電話で話しておられるのを先生はお聞きし、これはダメだとお母様にもお話されたということをお聞きした時、通常ではこれで良いと思っても、もっと幸せになれるのにこんなところで止まっていてはダメなんだとおっしゃる先生のお声が心に響きました。お母様のこととしお聞きしているとよくわかるのですが、ふと自分のこととし考えた時、まさかと最初は感じました。私もそうではないか、と初めて考えました。先生に出会い、恵まれた環境で生き、本音で生き始めてからは、想像も予想もはるかに超える幸運の連続で夢にも見ることのなかった人生がひらかれました。もう十分幸せと感謝し生きてきました。が、もしやもっと幸せになれるのかも知れないと初めて考えたのです。すると、今まで経験したことのない人生が拓かれると感じ、今まで経験したことのない幸せがあると感じ、胸に光を感じ、生きてみたいと生きる意欲が湧いてきました。先生は、人間としての心を取り戻すのでは間に合わないとおっしゃいました。まるで新しくつくっていくようなものだと。。。新しい生命に生まれ変わらないといけないと。。。卵のようにと。。。高句麗始祖東明王様は卵から生まれたという卵神話があります。何故かとってもうれしく、私も卵神話がはじまると考えると、自然と喜びと笑みが生まれます。先日の府中でのコンサートでは生まれて初めての感覚が芽生えたのです。今日の応用コースにて、先生から初めての感覚が生まれないと生きていけないとお聞きし、コンサートでの経験を思い出し、うれしく感じます。

応用コース用に持参した小さなノートはなんと「高句麗の父」の詩が生まれた時に高句麗の旅に持っていたノートでした。続いて真の自分に出会った好太王様の地に真冬の寒い時に行った時もこのノートを持参していたのでした。その時の詩を読み、涙あふれました。悲しみを感じながらも幸せを感じました。が、この幸せが終わりではなく、これからもっと真の幸せを経験できるのですね。ひとつひとつのお話が心に沁み、一言の意味の深さが身にしみわかります。先生の気迫あふれる表現、生きる姿勢に触れたなら人間であれば、今が人類の危機であり猶予がない時となっていることを生命でわかるはずです。長年、人には理解されず、誤解され揶揄され、これで終わったら何の為にやってきたかわからないとのお言葉も私は身に沁みます。これでは終われません。今までの人生は終わり、これから卵から生まれたように新しく生まれた生命で生きるより生きていけないのです。夜も更けていますので今夜はここで失礼しますが、表現したいことはいっぱいです。愚かさをやめ、新しく始めます。ありがとうございます。

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