伝説から「救済」へ向かういのち
いだきしん先生のはじまりのギターから太鼓あたりでいつもある自己と周囲の垣根のようなものが無い状態を感じていました。天庭にあるとはこういうものかと閃きます。超自然的な力や存在があり自己の存在も共にある体感でした。周囲と自己との境目がないと感じる初めての高句麗伝説の経験です。前日にお聞きした「救済」、これに関しては出典を示されていないことから、いだきしん先生ご自身が定義されたメッセージと捉えましたが、これまで勝手に持っていた救済のイメージとは全く違ってこれほど違和感のないことばで表わしていただくとバイアスが全てクリアされ一条の光が差し込むように「救済」が理解できることに感動します。
マックス・ウェーバーの脱魔術化という概念は超自然的な力や存在を何者かが魔術化して与えるもの、または民衆が呪術や呪術的なものによって与えられるものでなく、その超自然的な力や存在に、ごく自然に自己が一体化していく状態であることも高句麗伝説のフィールドで気づきました。このような経験の積み重ねとその表現、精進と努力の継続性が生理的な病や心理的な苦痛から自ずと脱却する救済への道程であり、「主体性」の本来の意味をも理解します。次々と新たに展開する世界を即興で詩に詠まれる高麗さんの姿に揺るぎない主体性を感じ、とても共感していました。「主体性」とはどういうことか?は、いだきしん先生と出会う前からずっと追い求めてきたメインテーマですが、出会ってからはあまりにも広くて深いことを知るほどに遥か彼方にありましたがグッと迫る貴重な日になりました。
「究極の救済」も経験させていただいた前日のいだきしん先生のピアノコンサートに続き高句麗伝説は音楽と詩と映像を通して愛を経験し、「究極の救済」に至る愛のフィールドでした。「境目が無い」とはよくこれまでも受講生の方々が書き込み等で表現されています。私にとっては会場のPAの音がこれまでと違ってかなりクリアに聞こえたこともあるかもしれませんが、長い長いこれまでのコンサート、高句麗伝説、講座などの経験の総和として肉体全体が変化変容し、やっとこのようにキャッチする力がついてきたのではないかと捉えるところです。愛、救済を理解する入り口にある「今」、と気づくピアノコンサート、高句麗伝説の流れはとても気づきの多い二日間でした。
いつも尊い経験の場、愛のフィールドをありがとうございます。