仕事を通して
今日の新聞の「声」欄に、子どもが不登校になり、それを優しく受け止める社会でないことを嘆く記事があった。「子どもは、学校に行っても行かなくても苦しく、親もまた孤独感や閉塞感、不安感、焦燥感に」駆られながら、どうしようもなく苦しんでいると訴えていた。
でも、とわたしは考える。「学校に行かないことが問題とされないような意識の共有が社会全体に必用」と、“環境整備”を期待するばかりでなく、自分の意識の変更も必要ではないかと思うのだ。「不安」や「焦燥感」ではいけないのである。先日の応用講座でも、「まず不安から脱け出す!」ことが大切だと話されていた。苦痛は苦痛のままにして、ちょっと快楽の方ものぞいてみたらいいのではないか。不安にかかわらず、やるべきことをやればいいのではないか。季節が変わり、風も吹いているのだ。
偉そうなことは言えない。昨日は、ほんとうに苦しく、もう叫びたいくらいであったが、夜のレッスンで、「ひきこもり」の青年に、あれやこれや話したり、一緒に本を読んだりしているうちに、かれの表情が生き生きしたものなり、それこそ足取りも軽く帰っていったのを体験し、わたしの方も、心は軽くなり、不安も焦燥感も、あまり気にならなくなっていた。自分の仕事に全力投球すればいいのだと思った。