今
シリア映画を拝見して以来、ニュースで見る自分の状態が変わりました。今までいかに他人事として見ていたか、恥ずかしい限りです。映画を通して胸が抉られるような痛みにありながら、人間の生き様を学びます。何があろうと貫き通す精神は、永遠です。その後に先生のコンサートがあったことで、どれほど助けられたか全身でわかりました。今までにない体感は、何と表現していいのかわかりません。「フェニックス」とお聞きし希望を見ました。続くアントレプレヌールサロンで先生からお聞きする介護のパッケージは、今私が直面している母のことと直結します。死は生きることと同じです。体制という牢屋で、我慢して母に生きてほしくありません。私自身が変わらなければ、何も変わりません。「ど真ん中で生きる」ことは、自分の内側から湧き上がる力。これは自分しか分からないとお聞きしたとき、私は大きな錯覚をして思い込んでいると心が揺れました。その動揺のまま京都応用コースをお聞きして、更に「霊性」を教えていただきました。「どうでもいい限界」先生の言葉が、大きな錯覚とリンクします。「いつまでクルクルと周辺を回っているのか」先生の言葉が刺さります。自分のことだけでなく、母のことがあり、同時にそれは自分自身のことでもあります。私は余計なことが多過ぎます。
今から母の元に帰り、残された今年2日間を母と共に向かい合います。余計なことは考えず、やるべきことをやります。元旦の朝、今後どうするかをケアマネの方と決めます。今まで散々受け流していたことが、一気にツケとなって押し寄せています。逃げられない時を迎えました。自分の方向から考えても、どうにもならないこと、今までの時間の概念から外れること等、手がかりを教えていただきました。体制の中でも変わるとの先生の言葉が、光となります。ありがとうございます。