今までに無い経験
コンサート前日に高麗さんにお会いできる機会を戴き、高麗さん自ら淹れてくださいましたコーヒーを戴ける幸運に恵まれました。以前はコーヒーが淹れられないほどに手が痛むとお聞きしていましたので、今日は右手で淹れられたとお聞きして、すごく嬉しくて、前日の高句麗伝説に命がけで臨まれ、生死を賭けた戦いに勝利された証と感じ、同じ場を経験した者として、ちゃんと自分を表し人の役に立てる仕事をしなくては、という焦りを感じます。高麗さんの淹れてくださったコーヒーは、まるで高句麗第二の都集安の空のようなお味でした。京都コンサートに行く前に、高麗さんの淹れてくださったコーヒーの味のようになりますようにとの気持ちで「高句麗伝説」コーヒーを淹れてみました。集安のどこまでも広がる空には程遠い、少し晴れ間が覗く空でした。それでも先生焙煎のコーヒーはすごい勢いで体の芯から熱く、ホルモン系、免疫系などすべての細胞が活性化する薬と感じます。熱いままにコンサート会場に向かいました。入り口での検温では36.2℃思ったより低く、体の芯が熱いのと体温は別なのかと新発見です。
第1部では「本質」というわかるような、わからないようなことでありますが、言葉で理解しようとしても無理なので、先生の演奏に身を任せました。骨を意識して姿勢を正していると力が抜けて、そのままの姿勢で天と繋がるような感じで座っていられました。最初の15分ほどの演奏が終わった時に、まるで第1部が終わったのかと錯覚するほど、濃厚で奥深い美しい世界へ誘われていました。パイプオルガンの荘厳な音色、広がる世界は、自分を放つときです。と言われているようで、どこか怖いような、でもここで逃げてはいけないと、そのままに身を任せているとあっという間に終わっていました。第2部「おおいなる愛」では今までにない経験が起こりました。広い広い空を飛んでいると、ふっと父と母が出会い自分が生を受けて生まれたことを自覚した瞬間、これは奇跡なのだと感じ、同時に生を受けるとうことの尊さ、あらゆる生命の尊いことに畏れと感謝の気持ちでいっぱいで涙溢れ、生きてる状態が傲慢だと申し訳ない気持ちでした。この生命を活かして生きていければ、愛に満ちた世界が創られるとは夢のようです。
貴重な経験をありがとうございます。