今までとは、まるで違う
一昨日、いだきしん先生、高麗さんが東京へ戻られる時、「由美さんも東北へ来ない?」の高麗さんの一言が生命に沁みました。この度の京都での経験は言葉ではなかなか表し難いのですが、大きな山を乗り越え、別次元に降り立った感があり、安堵しました。先生、高麗さんが比叡山に到着された翌日から、ある事が自分の身のうちのことの様になってしまい、苦しいながらも何とかしたい気持ちでいっぱいでした。自分に何ができるかを考え、やるよりないので、とにかくコンサート動員に繋がるように9/17.18の大津での作品展、高麗恵子「詩と語り」のチラシをポスティングしたり、会う人にお知らせしたりと朝から動くことよりありませんでした。苦しいままに「存在論」「応用コース」に参加させて戴き、仕事と家庭と分けることなく矛盾することなく生きることを先生は目指され、実現されていることをお聞きして、対象化しない一元論で生きれば矛盾せず生きれることを知り希望でした。応用コースでも、何がとか言い難い苦しい状態にありながら先生とひとつになってお聞きすることよりありませんでした。翌日は迎賓館コンサートはライブ配信で参加させて戴きました。デドックスと先生のお話しをお聞きして、あのすさまじいエネルギーの中で全てを洗い清めて戴くよりなかったです。それでもやっぱり、苦しいことは続きました。土砂降りの中、比叡山を降りながら、少し早めに出て正解でした。もう少し遅かったら道沿いの川が溢れて出しそうな状況でした。無事にコンサート会場に着いた時には、身を運べたことや、いろいろなことが一気に安堵し、コンサートに臨ませて戴きました。自分の中の様々なことが全て無くなっていき何も覚えていません。全く感覚が違っているので、苦しみはありませんでした。やっぱり先生のコンサートはすごい‼︎です。コンサート後の高麗さんの書き込みを拝読した時、「限界を乗り越え、生き延びる世界を創りたいです。」とのお言葉に、ハッとしました。コンサートでいつも先生が生命賭け、限界を乗り越えていける身体に変えてくださっているのに、行動変えないと限界を越えることはできないとわかったのです。「東北に来ない?」の高麗さんの一言に、自分が9月の高句麗伝説やコンサートの参加を、今の自分のできる範囲で考えて計算していたのでした。東北はライブ配信にして三鷹のコンサート、高句麗伝説には参加しようと姑息な考えでいたのです。一見、ちゃんと計算しているつもりが、限界を突破する思考になっておらず、今までの繰り返しをやろうとしていたのでした。こんなことやっていたら。何度コンサートで良い経験しても、何も変わらず落ちていくだけだとわかりました。故に、特に京都での今までしたことのない経験をした後は、一回一回生命かかっていることがよくわかります。仙台、盛岡に行くことを決めてから、お仕事の依頼も次次決まり、何が応援してくれている様です。これからが真表し生きる日々なのであります。台風もあり、いろいろと考え万全を期して向かいます。ありがとうございます。