KEIKO KOMA Webサロン

人類の悲願を成す人生


先日は先祖の悲願を成すことが何よりも優先してやること、とメッセージで空間から分かりましたが、人類の悲願を成す、であったことに事は飛躍します。三鷹コンサートに向かう日は、自分の置かれている環境の中で自分は何者かをわかること、という応用コースでの課題に向けた答えとなる、神聖であることを徹底的に邪魔してくる色々なことが立て続けに起こります。コンサート開演前に一つ気がつき、その場で一つ排除して、内面の違和する状態を無くすことに努め、参加させて頂きました。それでも一部では、神聖である状態を阻害しているものが次々と現れるのです。なぜ、このようになったのかも、自分の心の叫びによってわかります。おおいなる存在と繋がらない上に色々なことをするので、どんどん内面に余計なものが積まれていくので、たまったものではありません。「こんなの、おおいなる存在とつながらなければ生きていけないじゃないか!」と、叫んでいました。一部の終わりに、「私は神聖でありたい!」と言葉になります。とにかく、どのようにお聴きしても頭が邪魔をしてきて、生きていけない苦しさに、私はもう、集中して、魂だけに先生のピアノの音を聴かせるようにしていきました。魂が目覚めてくれば、こっちのものだからです。最近の自分は、6/24の盛岡高句麗伝説のスタートから、魂取り戻す経験がおこり、それからは魂ずっとともに生きていることがとっても嬉しいのです。一部では最後の方で、逢いたい人に逢え、恨んでいたかもしれない悲しみが愛に変わり、ともにある魂はどれだけ喜んだことでしょう。このことを先生の演奏で経験できることは、一生の恩恵です。私は先生のピアノの音を通じて、悲願を成していけるので、だから好きで、よくコンサートに通っているのだ、ということが、よくよくわかってきました。その喜びは休憩時間にも立ち現れるどころか、ますます強くなり、魂が出てきそうなくらいときめき、涙溢れながら、えりかちゃんのクルクル上手に回る回転をみていました。二部では、もう、二度とこんな状態にならないようにしてほしい、と頭の状態を願いましたら、頭の中の血管が公園によくある迷路のように拡大され、その中を光がシャワーのように吹き出て洗ってくれたのです。なんと気持ちの良いことか、いつまでもいつまでも、この光のシャワーを浴びていたいと感じました。応用コースが前日にあり、自分の置かれているコンサート直前になり、光を取ろうとして、おおいなる存在とつながることを妨げようとする事象は今にはじまったことではないことも、気がついています。多くの方も、弱みにつけ込まれ、その人が喜ぶようなところに、邪魔をしてくる、その、タイミングの良さに、よく、闇は、コンサートがあることを、しっているなぁという気持ちにもなります。コンサート、講座を中心にいつも伝えていれば、何が真で、何が生命を阻害してくるかわかるのに、今回は自我をやってしまったために、中心からずれまくり、多くの方々に、ご迷惑をおかけしまったことと感じ、拍手の音を聴いたときに、涙が出てきました。尊い多くのいのち、いだきに出逢われたいのちとともに、人類の未来をつくっていく大切な人生なのだと言うことを、改めて噛み締めた拍手の音でした。尊いいのちを与えて下さった全てに、感謝します。

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