人間存在のあり方
昨日は、仙台の地でのコンサートをありがとうございました。
10日11日と、忘れてはいけない、忘れられない日が続く3月です。10日は部屋でお香を焚きながら黙祷し、11日は仙台の地で献花に伺いました。そこでしばらく震災関連の書籍などをよませていただきました。
「つなみてんでんご」とはよく聞かれる言葉ですが「てんでんこ」にはできなかった方々がたくさん犠牲になれたことを改めて知りました。おじいさんを一人ではおいて逃げられず、かといって身体の不自由なおじいさんを一人では連れて逃げられず犠牲になられたお母さん、海辺の病院では1人以外自立歩行できない患者様を屋上に運び、それでもほとんどの医療従事者の皆さんと患者様が亡くなったこと。犠牲になられた多くの方々の中に「てんでんこ」は知っていてもできない状況があった。そして、同様な状況で助かった方の苦悩。そのような現実を知ったとき、では自分はこれから何をするのか、どう生きていくのかが、人間のあり方であります。
ピアノの音はそんな私の内面も身体もまるごと包み込み、優しい温かな波がうちへ押し寄せるようで、あっという間でした。二部にチューニングのメッセージをうかがい、身体に集中しました。少しすると、あれ?身体の保ち方がゆがんでいることに気がつき、すぐに気持ちの良い状態に姿勢を正し、さらに集中できました。チューニングしていただき気がつきました。子宮、心臓、下腹部にと次々に音が響き、時には身体が舞台に引っ張られるようでした。
生身で経験することの素晴らしさ、ありがとうございました。動かなくては終わってしまう危機感と、なんだか自由で可能性を感じる今日です。
後藤美香