KEIKO KOMA Webサロン

人間の要


すでに高句麗伝説が始まっていることを起こる現象から身に沁み感じ、みんな甘くみていたら大変なことになる、と叫びたい衝動に駆られます。今日の応用コースの最後にも、「高句麗伝説」甘くみるなよ、覚悟なされ、と先生はおっしゃいました。先日の東京での応用コースでも、高句麗伝説、覚悟しろとおっしゃいました。私は、その数日前に、覚悟を決める経験をさせていただいたので、先生が覚悟しろ、とおっしゃることが生命ではわかるのです。真に覚悟しています。応用コースのお話は昨日の4月19日迎賓館コンサートでの演奏とお話が深く生命に沁み、人間とし。。。人生を深く考えましたように、同じに生命に沁みました。先生のお話はすぐにわかれば良いのですが、時間と共にお言葉の意味がわかってくるのです。応用コースが終わってからの時間は、お聞きしたお話をずっと考えています。何かをした時にふと合点がいきわかる瞬間があり、お聞きしていなければ生涯気づくこともなかったと考えると、いつも足元が震え、救われたことに安堵します。今日も言葉の音の事からお聞きし、先生と奥様の関係が何の問題もなくなったら、人の苦痛を身に受けるようになったことをお聞きしました。そして、先生はいつもずっと考え続けていることをお話くださいました。何故、知らない人の苦痛を身に受けるのか、それも先生のことがわからずに、批判をする人のことでさえもその人の生命の苦痛を身に受ける理由を考えるとのことをお聞きし、自分の内では不合理な何かを感じてしまうのです。もうやめてしまおうかとも考えると。。イエスキリストはやめてしまうことを受け容れるか、やめることはできない方向へと促すか。。。との微妙な表現の中身を考えると、どんな言葉も使えないある何かを感じ、申し訳ない気持ちで一杯となります。イエスキリストは、病気の人とただ一緒に居たとの一言は生命に沁み、頭を垂れます。医療も看護も、患者の苦痛に寄り添うと言っても半端であるとのお話から、何が半端なのかが見えてきました。良くなったら終わりという関係は半端であること、死んでも終わらない人間であるのに、終わりがあることは半端であるとのお話をお聞きし、生命のはたらきを受け止めます。生命がはたらいているままに生きていれば、このような半端なことなどできないのに、この世の決まりや慣習により生きてしまうと、人間であることを全うできないと身に沁みました。人間としても要から外れたところで何をしても半端であるということも身に沁みます。イエスキリストが生きることで示してくださったように、人間とし生きてこそがなくして医療、看護に関わっても虚しいだけとは深くうなずくよりありません。

もうひとつ常に先生が考えておられることは、奥様のように生きておられた人が何故倒され、生命落とさねばならないのかということ。。。身が裂かれんばかりの苦しみ、悲しみが走ります。そして先生のご家族も苦しみが襲いかかるのです。何故かと考え続けていることをお聞きすれば、いたたまれなくなります。私も先生にお会いした時は余命短い生命でしたが、先生が「ただ居ただけ」との一言に表される状態で居てくださったので、生命助かり、今も生命あるとお話いただき、感謝で済まない気持ちで一杯です。ただ居るだけ。。とは昨日の迎賓館コンサートにて生命の奥深くまで染み入り、経験させていただきました。このように生きておられる先生を自分の都合で使うことは許されることではないと表現するのは自分の内に何かがある為かと考えても、私はそのように考えます。ただ居るだけ。。。ということをコンサートで経験させていただいた時、畏怖を覚え、身が震え、頭を垂れざるを得ませんでした。これ以上、生命賭けの演奏や先生のお話をわからないという言葉は聞きたくないと感じています。

世界をわかるのは四大宗教を理解することとのお話の中で日本は四大宗教には入っていないことの不思議さも改めて考えます。私は、日本で生まれ生きていますので、日本でいだきをさせていただき、NPOの活動をさせていただいていますが、何故日本なのかと考えることは多いです。日本語は「あ」からはじまるとの先生の表現に思わずはっとしました。あいうえお「あい」からはじまるのです。先生から日本語で人間とは何かの答えを見つけられたとお聞きしています。日本語でなければみつけられなかったと初めてお聞きした時には先生が日本で生まれておられることの意味を知ったのです。その日本であっても、先生のことがなかなかわからないことを長い間疑問と感じてきました。今後はどうなるかわかりませんが、猶予はない今はおおいなる働きかけを受け動きを創れるように生き、世界中何処へでも行く気持ちで生き始めました。

夜中にはお茶室のマーブリング制作場にてマーブリングをしました。家を出る時、玄関の扉を開けると、上から光が注がれ、ふと目を向けると、ほんのわずかな隙間からお月様が顔を出していました。とてもうれしくて、強い味方が現れたように感じ、力強く制作場に行きました。満月の光に照らされ、桜の花びらが水に浮かぶマーブリングでした。素敵な制作です。こんな事が出来る人生に感謝します。

高句麗伝説に向かい、隙なく備えることが必要と感じていますので、一瞬の隙が生命落としかねない経験をしたからです。今までのようにやっていては一瞬の隙があれば大変なことになるとわかります。今日からは、時間に余裕を持ち、隙なく、安全に動くことを心がけています。世界を変える大仕事をさせていただいている自覚を持ち、隙なく万全に備えていくことが大切と身に沁み感じています。皆様も十分お気をつけて無事にご参加くださいますように。。。今日となりましたが、京都事務所にて存在論、死についての講座がありますことに感謝し、万全にと心がけます。ありがとうございます。

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社長室ランチにて
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盛岡市民文化ホール小ホールにて
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新五女山