京都
久しぶりに京都での催しに身を運んで経験させていただきました。
朝ふと行きたいと予定を変更して向かった八坂のギャラリーカフェにて、高麗屋さんでの催しをご案内いただき、体で言葉を求めるような感覚に自分で戸惑いました。
高麗さんに言葉にしていただく前から、ほんとうは、という欲求を感じて、怖さにも似たような感覚でした。
しあわせを求め しあわせ広げ 皆が元気に生きられる世界を
自分のことで日々精一杯になる自分自身を責めていたんだな、と感じ、そのまま理解していただけたような安堵に涙が溢れました。
コンサート前には、今一緒に住んでいる恋人の関係を友人に指摘され、自分で自分を小さく閉じ込めているんだろうか、など、恥ずかしながら自分のことばかり考えていました。
コンサート中も頭が痛く、何かが違うのだろうと思いながら、最後にはとても体も軽く、その後2年ぶりに実家に帰省しています。
以前は壁を感じていた母や姉と話が出来ることが嬉しく、思い違いで上手く行かなかった過去も解れていくようでありがたかったです。
仕事のこと、人間関係、答えがはっきり出ずにいますが、人として目の前の人に、色んなことを隠さず互いに尊重して関わっていきます。
言葉にすること、表すことを日々優先します。
明後日の応用コースと存在論にも参加させたいただきます。
いつもありがとうございます。