京都コンサートへの道
11月1日、父の命日に開催させて頂きました高句麗伝説の編集を先生がしてくださった時のお話をしてくださいました。お正月の桐箱に入れさせて頂く為に編集してくださいました。神事とお話しくださいました。あの時から11月15日のコンサートで、いのちのはじまりの光を先生が表現できるようになっていたとお聞きし、身震いしました。笑いながら、私の父の事をさすが、おとっちゃん、とおっしゃった時に、大地から昔の武蔵国の地に眠る高麗の魂がじっと聞きながら、涙している気配を感じ、胸の内は涙にじみました。東明王様から連なる魂の道も見え、先生に出会わせてくださいました魂のはたらきが見えたのです。魂の歴史の重み、深さを感じ、やっとこの時を迎えられた事の奇跡、重大な事を生命全てで感じます。何とも言えない感動に包まれました。全身が涙している感じでした。その流れのなかで、26日の京都コンサートがある事を先生自らお話しくださいました。先生がお話しくださりありがたい気持ちと先生に言わせてしまい申し訳ない気持ちで、頭を垂れました。コンサートの度に何度もコンサートの大切な事や開催主旨をお手紙やメールにてお伝えさせて頂いてきましたが、世俗の事情を優先する人にはお越し頂けない壁を何としても打ち破りたい気持ちでした。先生がおっしゃってくださいましたら、空間を通してたくさんの方々に伝わったと感じ、感謝に震えました。日本も世界も危機にあります。解決の道を知りながら、伝えきれない事は真に申し訳ない事であります。要と見え、ずっと取り組んできました。道は作られています。皆様に京都コンサートにお越し頂けますように動きます。ありがとうございます。