京都コンサート、そして2回目の迎賓館コンサート
京都コンサートの前日に幻のコグリョカフェのメールを頂いた瞬間、嬉しくて飛び上がりました。ただ行きたいというよりもっと奥深くから行きたくて直ぐに行くことを決めました。このところの何回かの京都滞在に場所的にベストなホテルが見つかり、高麗屋さんまで歩いて行けることも嬉しく、楽しみでなりませんでした。
幻のコグリョカフェにて高麗さんにメッセージを書いて頂く間も嬉しくて頂いたメッセージを大事にしまいました。前回とまた違うメッセージを何度も読んでみました。
コンサートの一部のメッセージ、「生まれつきの発露」は難しく、ただ、「今やどなた様にも新たに何事もはじめないといけない時」というお言葉は本当にと感じました。演奏をお聞きするとやはり少し眠く、先生が寝ないで聞いてくださいと迎賓館コンサートの時に仰ったので背筋を正して必至に聞かせて頂きました。
二部のメッセージ「思考のもととなる愛」もわかるような気がしましたが、また部分だけ受け取り解釈してはいけないと感じます。演奏は今度は頭がすっきりしていて途中で気になることは浮かんでも囚われることなくお聞きすることができました。あっという間に終演となり、数分で終わってしまったかのように感じました。あまりにもあっという間に終演になり本当に時間は伸び縮みするんだなと感じました。
帰宅して、片付け、高麗さんの書き込みを読ませて頂き。愕然としました。実は先生がパイプオルガンにお座りになられる時にあれ?と少し気になっていたのですが、自分達が先生の頭を押さえつけ表現できないようにしていたとは…どうして良いのかわからず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。本日の迎賓館コンサートにて(配信で参加させて頂きました)先生のお話をお聞きし、一生懸命やろうがそれで変わるわけではないとまた少し凹みそうになりましたが凹むことも自分勝手と感じますし、とにかく書き込みはしないとと感じ、書き込ませて頂きました。これから京都応用コースを聞かせて頂き、日々訓練し、あと2回の盛岡コンサートで一歩でも二歩でも前に進めるようにします。ありがとうございます。