京都の講座にて
高句麗伝説のコンサートを控え、京都にて二つの講座を開催頂き、ありがとうございました。左足首の腫れがなかなか引かなかったところ、東北での2回のコンサートに参加をし、その後ひどかった腫れが引いたのが自覚できました。修復する「何か」が身体の中にある沢山の微生物であったり、また以前の例をお話下さり、腰椎に梯子を渡しての工事が行われていたことなどは、自覚ないながらも体の中で沢山働いてくれていることに驚愕します。また、宇宙、自然ともひとつとなるコンサートや先生にお会いすることで微生物たちも本領発揮とばかりに活性化していると改めて思われました。「真剣さ」に関しても愚鈍な質問と感じましたが、台風の驚異に触れた時などのお話を振り返り、今は危機感の欠落と感じております。長くマイクを持たせて頂きましたが、正直に、何か以前のように意欲的になれない自分があり、どうしたものかとずっと考えているところです。身体の過渡期か、この社会情勢からの影響なのかと思案しましたが、曖昧な状態に甘んじていることは否定できません。ひがみっぽいこともお話させて頂きましたが、自分では高句麗伝説へ向かっての「脱出」の一環としてありました。一人だけ連れて行って貰えなかったことなど不公平なことをされたと被害者的になっておりましたが、その時は水疱瘡であったり、大癇癪を起したため別の部屋に連れていかれたりとそれなりの理由はあります。またクラウゼヴィッツの「戦争論」も興味深く、世界の国家間でのことですが、家族間でのことにも通じることと受け止めました。是非さりげなく父の目にするところに置いて、また自分も読もうと感じます。後から思い出されたことで恐縮ですが、ひがみっぽさの根底かもしれないのが、8月上旬のコンサートの第二部のアナウンスにて現れた感情です。「愛なんて嘘!」「愛なんていらな!!」と湧き出てしまい、自分の本心だと思われます。これだけのコンサートや講座に身を置いているにも関わらず、この自分の心理に驚き呆然とするところです。自分の中に巣食うネガティブな心理の大元に触れたのだと理解します。大嵐の垂直な波に抗う船に乗っている心境で何もかも捨て平穏で静かな所に逃げたくなりました。蓋を開けると大したことではないかもわかりませんが、一体何が潜んでいるのかと思われます。出会いにより引き出されると先日心したところで、もっと人と会わなくてはと感じます。
ありがとうございます。
田嶋利江子