京都に戻り
昨夜のコンサートの書き込みを拝読し、世界中からの死霊が押し寄せていた凄まじいコンサートであったとわかりました。席についたときから、身体の芯から熱が発せられているかのように身体が熱く感じられました。いつものアンコールではなく激しいままで終了されたので、まだ続きがあるように感じられました。
応用コースでのお話をお聞きし、表現をしないのはいけないと感じましたが、あまりにスケールの大きなお話にスマホからではなかなか書くことができませんでした。人間がいなくなれば、地球は廃墟と化することは愕然としました。人類が滅亡することは、どこか自業自得でもあると感じており、人類がいなくなっても地球はそのまま美しい営みを続けると考えておりました。しかし、人が住まなくなった家屋が生気を失い朽ちていくことと同じに、地球も生気を失ったようになるのかと想像しました。それゆえに地球が美しくあらしめるのは人間があるからなのかと考え、その関係性の深さに驚きました。宇宙からすると地球は愛の表現体なのかもしれないと考えます。そうであるならば、人間の責任は大きいと感じます。また、この地球上に発生して消えた生物が人間の中に共にあり、「1億才」と仰った我々には滅亡した因子を克服して報いなければならないことにも責任のような担ったものであると「1億年分のやり直し」と学びました。唯一人間だけが表現をできることにそれを担うのだと考えます。別な惑星に移住するより、やはり、同じく地球から生まれた他の生物ともにある美しい地球がいいと強く感じます。
ありがとうございます。
田嶋利江子