京都にもどり
ニ夜連続のコンサートをありがとうございます。19日は、熱はないのですが、熱にうだされたように頭がひどく痛み、会場にたどり着けるかと思われる心境にまでなっておりました。女性性の解放から、身体の大変革がされていると受け止め、一個人でなく、地球丸ごと生きられるよう、根こそぎに解決下さっていると考え、これしきの痛みで泣き言は言えないと思いながらも、痛みに頭を抱えておりました。また巷の空気も濁っているように感じられ、危ない橋を渡って会場に到着できたと振り返ります。アナウンスでの「参道」を、始め「産道」と思いました。そういえば、子宮は「宮」と書くことに気づき、私の中ではアナウンスでの御宮と重なって聴いており、御宮に神が降りるのも神の光がお腹に宿ることも共通していると思われておりました。コンサート後、頭痛は軽減され、ホテルへも普通に行くことが出来、安堵しました。本当に自分は未熟極まりないと感じます。翌日はお天気も良かったので少し晴れやかな気持ちでコンサートに備えました。「叡智」のアナウンスが「例えば茶道」で終わり、正直、天地から地上にストンと落ちるようでした。しかし四畳半の部屋に宇宙空間を表現されることを思い出し、本来は真理の探求の「道」であったと思い直しました。茶道に始まり、武道、花道、書道等々正に真理への探求が文化である国は、本来、精神性高く高尚なはずと思われましたが、自分は上辺をなぞっているに過ぎず、深く理解をしていなかったことに気づきました。昨日表現下さり、多くの日本人に「叡智」が灯っているように本日は見てしまいます。また、道中の鳥達がとても愛しく感じられ、昨夜のコンサート、良かったねと分かち合っているような感覚があります。
ありがとうございます。
田嶋利江子