京都にて
3日間京都に滞在し催しに参加させて頂きありがとうございました。
人生これからと、講演会で仰っておられた高麗さんのお言葉がその後ずっと身体の内に鳴っているようで不思議でした。
応用コースのお話をお聞きしていても歳をとって年々衰えていくことが当たり前となった人間社会は誰がつくったのかとはじめて疑問をもつ自分がいました。普段の日常に埋没すると、いつ死んでもいいと感じて毎日生きているような感覚になります。人生これからという高麗さんのお声に目が覚め、私の人生はやっとスタートラインに立ち、今はまだ序の口にいるのにいつ死んでも良いはずはないと奮い立つ気持ちがありました。確かに歳をとって衰えていくことが当たり前でないとすれば、歳をとっても衰えていかない身体づくりが一般的になる時代に希望を感じます。仕事で高齢者の方々にたくさんお会いし辛いことは鬱状態にある方々の多いこと、また若い人たちが、歳をとることも悪くないなと思える社会を作らなくていけないと口にする場面、そもそも根本的に何かがおかしいと感じている自分に気づきます。生命の再生産とお聞きし、先生の施設での取り組みまた奥さまのお父様の回復劇をお聞きし心を魅入られ血の通う身体を取り戻すような体感でした。若い人たちがよく言う歳をとることも悪くないなと思える社会を作るでは虚しさより感じられず、自分もいつ死んでもよいという感覚に陥るのかと発見します。
日本の文化には年齢を重ねた人にしか表現できない美しさがあることを以前からお聞きしていることを改めて考えると、若いときには表現できないことを年を重ねるごとに表現できるようになっていく、死の間際が最も美しい人間の姿があれば涙が出るほどの希望を感じます。
生命に潜在的にある可能性が先生との交流によって引き出されていくことに感動に勝る驚きを感じる私は、内面世界や交流と先生が仰ることを、どのくらい理解しているのだろうかと思います。私の中に眠る潜在的にある可能性は一体どこへ開かれていくのか、自分の中にある、こんなものだ、当たり前の感覚を疑うことから始まることを感じています。
京都の3日間を経て、新たなる感覚が生まれていることに希望を感じます。
ありがとうございます。