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京都から琵琶湖へ


京都東山 岡崎の地は明治時代に殖産興業策の一つとして琵琶湖から水を引き工業地帯にする計画があったが結局は東山を借景とした日本庭園をもつ別荘地になったということを以前テレビを見て知りました。文化地域の中心的建物の一つが京都会館、今のロームシアター京都であったことも何かに書かれていて、いだきしん 先生のコンサートを京都で初めて開催されたのが京都会館でテーマは「高句麗」であったことがロームシアターでの高句麗伝説を経験しながら、今の時を創り続けて来られた先生、高麗さんの偉業を感じていました。京都の高句麗伝説では、自分の生き様が露呈してお恥ずかしいですが、最初の方では眠気が襲ってくるは心臓や背中が先生の音に呼応するように痛くなり頭痛がひどく、こんな状態で生きていて終わる人間であることを痛感しました。ここの場にいることが必死でした。人間が生き延びるために、先生が生命賭けで叩いてくださる太鼓の音を全身で受け止め、かろうじて宇宙の向こうに向かうロケットに乗れた体感がありました。命拾いしたと感じ、京都の高句麗伝説に参加してなかったらと考えるとゾッとします。帰り道は頭が壊れたのか、まともに歩くこともできないほどふらふらでした。ふっと東山を見上げると赤い満月が山の端にかかっていて、何かがはじまったと感じました。

琵琶湖の高句麗伝説はスタッフとして参加させて戴きました。琵琶湖の波打ち際からはじまったビデオ講演会収録では、高麗さんが琵琶湖の畔に佇まれるだけで涙こみ上げるものがあります。ホール内に戻り続きの収録では、東明王様は生き続けておられること、現代人の死の概念は生きることを規定し、本当は人間はずっと生きる存在であることを知ります。いだきしん 先生がこの世に現れてくださり、高麗さんがいだき講座を始めてくださり、コンサートも開催し続けてくださり、高麗さんを中心に生きはじめると、その事が現実であることをわかっていきます。講演会の中で「蒼い風」のことを話されている時、あの八坂の塔から吹く蒼い風の映るお写真を拝見したとき、あの日御縁があり半日近く高麗さんとご一緒させて戴きました時に、ずーっと高麗さんから感じた暴風のようなエネルギーを思い出しました。その瞬間、あ!「好太王様だ、生きて高麗さんと共におられるのだ」とわかって、現実に出会っているのに、高麗さんと共にあり続けておられ、出会えていてもわかってない状態が申し訳ないばかりで、なんとかして出会えた魂を生きていきたいと願います。琵琶湖の高句麗伝説では前半はフロアで聴かせて戴きました。先生の音と高麗さんのお声を聴きながら、前面に広がる琵琶湖、空、比叡山に連なる山々と、こんな経験ができるなんて大いなる存在からのプレゼントのようでした。琵琶湖は遥かな世界と繋がり、まるで別次元の世界へと飛翔します。アナログシンセサイザーの音が流れる中、雲も山も湖も全て生きている存在となって押し寄せて来ます。後半は中に入り聴かせて戴きました。別次元の空間に圧倒され必死に身を置いていました。先生、高麗さんの一音一音と一言一言、映像、照明、会場の一人一人がひとつになって、全ての存在と新しい生命体へと移行する大転換のときを経験させていただいていることにただただ圧倒されます。ふっと隣に車椅子の方が入られますと会場の方に言われ、入って来たのが自分の母親であったので、一瞬動揺しましたが、とにかく先生、高麗さんとこの場にいるよりないと覚悟を決め、スタッフとしてもちゃんと仕事を全うしないと気を引き締めて臨みました。琵琶湖からのメッセージが表現され、これからの人生を「神宿る人間」となり生きていこうと心に入ってきました。母は途中でトイレに行きたくなって、こんなことは今まで初めてと悔やんでいました。スタッフ方達が誘導してくださり、会場に戻る時は少しでも速く中に入れるように配慮してくださり車椅子を使用することにしたと後から聞き、ほっとしました。こんな些細なことでも動揺する自分を認め、もっと強くならないと生きていけないと感じました。いだきしん 先生と高麗さんと共にある状態が愛ある状態で、何が起きてももっとも強い状態で生きれることも経験させて戴きました。参加されたお客様は皆様明るく生き生きと元気にお帰りになる姿に目頭が熱くなります。誰もが元気に幸せに生きていける世界が、いだきであることを実感する尊い経験を真にありがとうございます。本日も母と一緒に奈良の高句麗伝説に参加させていただきます。変わった奈良の地での高句麗伝説が愉しみです。本日もよろしくお願い申し上げます。

 

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