KEIKO KOMA Webサロン

京都からの帰り、淡路島にて


素晴らしい迎賓館コンサートをありがとうございます。存在論から始まりました京都での3日間、毎日身体がふらふらでいかに部分で生きていたかがよくわかる経験となりました。

2年程前に退職した私と同い年の元職員が、半年前に確か脳溢血だったと思いますが突然亡くなりました。私のボランティア活動に対しては表立って批判はせずに、退職後も決して悪い関係ではありませんでしたが、他では私の活動には批判的で仕事のじゃまをしているとは聞いていました。8月になりお盆のせいか頻繁に思い出しており「死について」のお話を聞きながら、死んだら全体になるということなので、今は死んで応援してくれてるのかと漠然と思っていました。が、迎賓館コンサートで、死んだら全体になるというのは哲学のお話で、現実は死んでも苦しみは続いてるとお聞きして、やはりそうかと感じました。

生きて全体になる生き方を見つけられた先生は凄いとわかります。人類史上初の生き方と高麗さんがおっしゃっていますがこのこともよくわかる経験となりました。適切な表現が出来ませんが、存在論から身体のふらふらが始まり、迎賓館コンサートの経験がMaxで、身体全体の枠が崩れたようでした。

八坂での高麗さんのビデオ講演会をお聞きしてる中で、初めて先生、高麗さんにお会いした時、すごく真っ当な方達と、俗に染まっていた身としてはかなりびっくりしたことを思い出しました。人間として真っ当な生き方を貫かれて、奥様という尊い犠牲がありながらも今の時を迎えたということ、この場に居合わせることができる幸と、やるべきことを考えます。

高麗さんをはじめ、皆さんが着ていらっしゃるマーブリングに目移りして目移りして、失礼かとは感じながらも上から下まで見入ってしまいます。高麗さんが染められたマーブリンクで存在があらわれることも驚異的なことと感じています。マーブリングを見てるだけでも幸せを感じますので、高麗さんが考えていらっしゃるマーブリングの展開はこの世に必要な仕事とわかります。

あとは高麗さんが決められたコンサートを満席にすべく向かうのみです。ありがとうございます。

塚崎知美

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八坂 高麗ギャラリーカフェにて
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三鷹市公会堂光のホールにて
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八坂より