五女山 高句麗の愛 ぬくもり
12月24日「出会いの一日」では、「精神の源を辿る旅 高句麗編」から参加させて戴きました。ラフォーレミュージアムで何度も経験した「精神の源を辿る旅」での、あの「見る意識」が取り払われ、自分の心身の境界が取り払われ、とても自由になり、スクリーンの中へ両手を広げて吸い込まれていく無上の自由と喜びが、三鷹 光のホールにて鮮やかに蘇り、瞬く間に今の私の全身に広がりました。
この度の身体の異変の中で、オンデマンド配信にとても助けられてきました。前日はホテルニューオータニで開催されました高麗さんの「いだきを語る part2」のオンデマンドを視聴しておりまして、美しい紅葉の五女山の映像と高麗さんの満面の笑顔がとても心に残っていました。「精神の源を辿る旅 高句麗編」では、その心にあり続けている五女山の秋の光景がスクリーンの中の四季折々の美しい五女山の光景に溶け込み、私の心身も溶け込み、高麗さんの幼子のような無邪気さ活発さ、その満面の笑みに、私はとても深い幸せを感じ、満ち足りて、安心、温もり、やさしい心が沸々と湧き上がり全身に広がりました。愛しいふるさとの地にいだかれ歩く高麗さんのお姿、その光輝く笑顔は、真の自分を顕した皆様お一人お一人の輝く笑顔でもあり、自分もまぎれもなくその中の一人であることが、何の抵抗も邪魔も無く、只々やさしく、心の中にすーっと入ってきて広がったのです。高麗さんの笑顔が我が事のように嬉しく、皆様の笑顔も我が事のように嬉しく・・。「生まれてきて良かったね ここに集えて良かったね・・」と、何度も高麗さんが詠んでくださっている「五女山の夢」の詩が、この度初めて、やさしく心の中に立ち現れ、光となって広がっていきました。その瞬間、自分の中で、気が遠くなるほどの長い年月、楔のように心に深く喰い込み、必死に“何か”を阻み続けてきた冷たい棘が、ボロッ・・と抜け落ち粉々に砕け散って光に溶けていくのを確かに見ました。そして天と繋がり真っ直ぐに生きている力強い意志が立ち現れました。卑下することも思い上がることも無く、静かに素直にそのまま在り続けていた意志でした。天と繋がり生きる高句麗の魂は永遠であり、普遍であり、五女山は人類共通の求めて止まない魂のふるさとであり、誰もがそこに恋い焦がれ、帰りたいと願わぬ人は誰も居ないことを知っている意志でした。一人一人のいのちはみんな繋がっていること、支え合っていること、共に生きていること、それはとてもシンプルで素直でやさしいことです。「いのちひとつ、愛」・・元々そこを源にしてみんな生まれてきたのだと分かるのです。そのことを思い出させないようにして必死で妨害し、敢えて一人一人を孤独だと錯覚させ、懐疑的にさせ、そうやっていのちを分断していく悪しきエネルギーは、砕け散ったのです。
私は静かで清々しい風のような自由な心になって、スクリーンの中へと羽ばたいていき自由に飛び回りました。高句麗は世界中の源と繋がっていることを、いだきしん先生の音から自ずと心身で分かっていく旅の瞬間瞬間を経験し、そのまま高麗さんの「魂の語り」へと繋がっていくのでした。高麗さんのお声は清らかな水のように心身を流れ、詠まれる詩のお言葉にありました「桃花水」がそのまま心身を流れ、浄め、固く閉ざされてきた心を溶かしてくださり、雪に埋もれた花のつぼみが一つまた一つとほころび、花ひらいていく喜び生まれ出りました。風に揺れる五女山の薄い紫のつつじの花の光景に、高麗さんが「高句麗魂の悲哀 愛 を語ってくれる 五女山のつつじの花」と詠まれた詩に胸が動き、震えました。一面に咲く黄色い花の光景も、いのちひとつ 愛 であること、そして私達は皆ここで生きていくことを、高麗さんの詩は語りかけてくださるのでした。
最後に高麗さんが私達にご挨拶してくださったそのお心が深く胸に滲みいりました。こちらのほうこそ心から感謝申し上げます・・とお伝えしたい気持ちでいっぱいです。11月7日からずっと「出会いの一日」、そして2度のホテルニューオータニでの「いだきを語る」の催し、その全てには参加できませんでしたが、尊い一回一回の経験は全て今の私に欠かせない経験であったこと、この経験がなければいま、こうして書かせて戴くことも出来なかったし、もちろん今の自分も居ませんでした。体調はまだ万全とは言えませんが、毎日外出をし、買い物等をしながら身体を動かすようにしています。歩くと未だ焦点が定まらずフラフラしますが、きっと自分の生きる軸が大転換して、天と繋がり生きる真の軸に入れ替わり、生まれ変わる時なのだと受けとめ、一日また一日と快復していく過程そのものを楽しみに、感謝の時を過ごさせて戴いています。
いだきしん先生、高麗さん、皆様、この一年心からありがとうございました。