二日間の経験
今日ふっと思い立ち、城南宮を訪れました。数年振りでしたが花の時期としては時早しで、人影もありません。「失敗したかな」と思いきや、神苑に入った途端「よく来た」と言わんばかりに鳥たちが歌声で一斉に迎え入れてくれて驚きました。人はおらずとも、鳥の大合唱と共に散策するなんて贅沢です。しだれ梅や椿が見頃の時期に初めて訪れた時は、とにかくすごい人でカメラ渋滞でした。今日はほとんどの花が出番の時を待ちながら、深い眠りの中にいます。しだれ梅の枝をみると、固い蕾がたくさんついています。まだ見ぬ梅の花ですが、私の心にふっと香り立つような気がして思わず笑みが浮かびます。落ち椿の舞台となった苔の上も、ひっそりとしていました。女優を待ち続けるかのように、光と影が織りなす美しい苔の舞台に見入っていました。偶然とはいえ素敵な光景に遭遇し、豊かな気持ちのまま会場に向かいました。
今日の高句麗伝説は、時代の絵巻物の中に飛び込んだかのようです。しかもそれは過去ではなく、今、息づくものです。最初の「大河の悲しみ」から、共に命の光を水の中に見ます。今まで経験したことがない、先生と高麗さんと共に息づき、経験していました。女のかなしみは愛と、深くわかる経験です。そして東明王様、好太王様、高句麗軍団、すべてがそこに存在し、愛の礎である国創りに私も共にいました。ラストは「五女山で会いましょう」これ以上のものはない中での拍手大喝采です。昨日、今日とこれ以上がないくらいの経験をさせていただき、どきどき、わくわくではすまされない気持ちでいっぱいです。これから忙しくなりそうです。ありがとうございます。