KEIKO KOMA Webサロン

二分する光


今朝、ベランダから眺めた空に驚きました。強烈なオレンジ色の光が真っ二つに鉄塔を横に切断していました。この世を二分する光は、先生がアントレプレヌールサロンで仰った、グレートターニングポイントが現れた光景として見えました。「自分の中の曖昧さを排除せよ」と聞こえる朝でした。目に見えないけれど、明らかに二分され始める予兆が見え始めています。今ほど体力、気力、知力、直感が問われる時はなく、考えているだけで遅くなる勢いの中、家に帰ると気がつけば座ったまま眠りこけてしまい、やるべき事が何一つできない自分の状態をつい考えます。まだまだ動きが足りないのか、或いは先生が仰ったように会社でこき使われているだけなのか。薄々気づいているのに分からない振りをして走り続けているから、眠りこけてしまうのでしょうか。一昨日は、2011年に亡くなった父の命日でした。母に電話をかけると、「救急車を呼ぼうと思ったくらい、呼吸困難になった。」と言います。突然くしゃみが止まらず息つく間もなく、鼻水も流れて止まらないので、かかりつけの医者に朝一番で診てもらったら、アレルギー性の風邪と言われたようです。嫌な予感がしたら、案の定「だから京都には行かないよ。」と言い出しました。「まだ2週間以上先なのに、なぜそう決めつけるのか」と言っても、頑なに「行かない」と言い張ります。なぜそんなに意固地になるのでしょうか。「この間は伯父の病気のことで行かないって言っていたのに、今度は自分の体調不良が理由か」と聞いても、都合よく聞こえないようです。「あんたはやさしくない。年寄りの気持ちが分からない。」とか、「とにかく家で、じっと留守番しているのが一番。あんたは希望溢れて、好きな所に行けばいい。」等、訳が分かりません。「絶対に行かない」「絶対に行かせる」とやり合っている内に、可笑しくて笑ってしまいました。同じ土壌でいると感情的になり、堂々巡りで売り言葉に買い言葉の泥沼に嵌りますが、会社でも同じように理屈にならない屁理屈だと分かると気が楽になります。「そうきたか」と分かると、面白いものです。ですが、「喧嘩するために電話をしたのではない。父の命日だからね。」と言うと、「そんなことどうでもいい。自分が棺桶に入りかけてる。」と、投げやりに言い放つ母が悲しくなります。自分の身体の体調や目先のことに振り回されてしまっているのが、やりきれなくなります。やはり何としてでも、京都に一緒に行って幸せになってほしいと切に願います。

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