二つの言葉に導かれて
「嘘をつけ!」(坂口安吾の言葉)
妙に分かったような、悟ったような、物言いには、安吾のように叫びたいもの。せこいごまかしや一時逃れやおためごかしは自分への欺瞞でもある。正直に、素直に、そして、冷静に、おおらかな心ですべてを受け止めたいものである。一見、すべてを語っているような演技をする人や、涙まで流して嘘をつく人もいるから恐ろしい。ただ、時には吐き出してもいいかも……。
安吾は、「私のふるさとの家は、空と海と砂と松林であった。」と言い、さらに「吹く風」「風の音」を加え、さらに「はてのない虚しさ」を愛したとか。――こういうことを知り、安吾の文に触れる! なんと「国語」の授業は楽しいものか!今日通ってきた高校生が、教材の中から坂口安吾の『風と光と二十歳の自分』を選んだのだった。この少年の感性に感心してしまった。(6/16)
「瞳に光あり」(高麗恵子先生の言葉)
「先生を前にすると、鏡のように映し出される。」「分かると(痛み、苦しみが)なくなる。」「癒されると成長する。」「ほんものに会う」……
いつもコンサートや応用講座の前になると、仕事や収入や人間関係のことで、傷つき、苦しみ、「心配・不安」でボロボロになってしまう。こんな状態でコンサートのことを勧誘しても伝わるわけはないと思って、昨夕、大阪のWさんの事務所で開催された「高麗恵子語り・人生」に参加したのだった。
そう言えばもう35年前、高麗先生の説明会に出て、もう一も二もなく受講を決めたことを思い出し、タイムスリップしてしまった。そして、そうだ!あの時以来、わたしは大丈夫になったのだ。いろいろあってもきっと乗り越えていく知恵と力を手にしているのだと思って、一変に緊張がゆるみ、心が軽くなってしまった。健全な体と心を創り、世界を平和にし、交流し、分かち合う方向に進んでいるのだから、くよくよし下を向いているわけにはいかないと。
一番印象に残った言葉が「瞳の光」だった。もしかしたら、眼は年をとらないのかも!本音を語るのは眼ではないかとも。意識して輝かせることもできないし、意志の力で光らせることもできない。本源・命・生命の窓なんだと。この言葉を聞いて、なぜか「安心」が分かったのだ。(6/17)