KEIKO KOMA Webサロン

世界全体


24日の迎賓館コンサートをありがとうございました。コンサートに先立ち開催されたジェンダー、応用コース、存在論などの講座で学んだ内容を包括する経験をしました。ものごとを誤読する頭とその背景にある意識の固定化により、あらゆる可能性に満ちた無限なる未知の世界に存在するにも関わらず、頭でつくりあげた枠の中で限界を設け、全体ではなく部分で日常を生きている状態にあることがわかりました。

ピアノの演奏が始まると、体が緊張していることがわかりました。特に心臓付近に炎症のような熱さを感じました。そして、ふと、朝起きた後の状態のように、全身の力を抜いて常に生きてみたいという気持ちになりました。朝は日中や夜に比べ、頭と体がリラックスし、頭の中に余計なものがないニュートラルな状態のことが多いのです。一方、日中の活動が始まると、体が緊張し心に余裕がなくなり、時には痛みやしんどさを伴います。

演奏が進むにつれ、全身の力が抜け心地のよいリラックスした状態となりました。そして、ふと自身の頭と体の関係に気づきました。それは、普段から意識が強い状態、つまり頭が体よりも先行している時や意識が固定している時に、体に痛みやしんどさが伴うということです。そして、常に、体の全体から力が抜けた状態を基準として生きること、それが「全体」であると感じました。

演奏はさらに続きます。今度は「全体」をテーマに内面世界が展開していきます。「全体」とは「全ての体」と書くことに今更ながらに気づきます。そして、「全体」の中で一体どのような状態を基本とすべきか、という問いに対して、自分の「存在」、つまりは「本音」しかないと答えがでました。そして、「全体」とは何か、という問いに対しては、「世界」であり「自然」であり、「宇宙」であり、すなわち、それは自分の存在をもとにした「世界観」であり、自分の中に存在する「宇宙」であると感じました。本来、世界は広くあらゆる可能性に満ち、誰しもが自由意思のもとで自由に生きることのできる、無限性であると感じました。一方、そのような世界の中にいながら、枠と限界を設けているのが自身の頭であり、普段から、何とちっぽけでゆとりのない狭い世界の中で生きているのだろうかと気づかされました。そして、自身と世界との繋がりを時間という観点から見た場合には、独善的で狭い世界に嵌っている時ほど、時間が相対的ではなく絶対的な状態にあるのではないかと感じました。

今回のコンサートでは、全身から力が抜け、無限に広がる世界全体とひとつになった状態を経験させていただきました。この経験を手がかりに、「未知」なる世界と繋がれるよう普段から生きていきたいという新たな気持ちとなりました。

 

ありがとうございます。

 

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