不安を越えて未知に向かう
高麗恵子さんが、高句麗伝説を始められた記念日に京都で開催くださった「出会いの一日」にて、真を知りました。
弘前開催「高句麗伝説」の上映会では、いだきしん先生の太鼓の演奏の後半、体内に劇的な変化が起こり、瞬間頭がクリアになりました。高麗恵子さんの即興詩によりご登場されたとわかったのは、東明王様でした。私の胸の内には、根拠不明ながら、疑う余地なく東明王様への敬愛の気持ちが息づいていることを感じ、嬉しくてたまりませんでした。
ところが、続くシリア開催「高句麗伝説」の上映会では、東明王様が生き変わりよみがえったコンサートであるにも関わらず、終始頭が朦朧とし、「その場で生命は経験しました」ということが精一杯の、情けない状態でした。けれども、いだきしん先生が撮影されたシリアの美しい遺跡を、存在現す演奏と詩の表現にて体感したことは、人間としてかけがえない経験をさせていただいたのだと、しっかりと受け止めます。
続いて開催くださった、高麗恵子さんの「魂の語り」。胸が震えて嗚咽となったのは、五重の塔「八坂の塔」を建造した目的を表現された時でした。東明王様により建国された高句麗に生きた高麗人の、天を地に現し生きる精神を後世の人に伝える存在であったこと…それが、私が実際に八坂の塔を見上げて感じる、高尚な存在に出会った驚きと憧れ、胸の躍動と一致しました。それから、高句麗の姫の恋を、語ってはならないことと封じ込めた高句麗人の悲しみの歴史が解放の時を迎えて、大変有り難く、ただただこうべを垂れ、高麗恵子さんに感謝が溢れます。大地に、それから今生きている私たちの生命に封じられ、無きが如くあった真の美しい恋のエネルギーを、闇が作り上げた恐怖を乗り越え、語ることによって解放くださったと感じます。強力な封印を解いてくださり、本当にありがとうございます。
さらに、高麗恵子さんが「高句麗の母」と表現された、牡丹のような美しい女性の悲しみも、高麗恵子さんの詩の表現によって癒され解放される時を迎えられたことにも、高麗恵子さんはやっぱり凄いお方だと、大きな敬愛が生まれます。
自分の生命にあった未知への不安や、人にときめく気持ちを封じ込める押さえつけも、解消された現実を忘れずに、新しく生きて、人間が健やかに生きられる平和な世を実現する創造に、微々たる力ながら貢献いたします。
ありがとうございます。
高橋陽子