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一貫し生きる


今日は、学校帰りの愛麗花ちゃんが一人で歩いている所に会いました。突然、胸の内に光が差し込み、いっぺんに心が明るくなり、元気になりました。子供達が生きる良い社会を作ることは原点であり本音であります。大いなる存在とひとつに生きる人生が始まり、常に起こる現象は大いなる存在から見ると、どのような意味があるのかと考えるようになりました。考えてもどうするかがわからない状態もあり、臨んだ応用コースでした。ピアノの音もしっかりと聴かせていただく為に、心澄ましました。コンサートのように感じ、大きく何かが変わる予感がしました。お話は、先日の3月2日のコンサートメッセージにありました「好運」です。幸運とも書くと今日も教えていただきました。先生の人生のお話をお聞きし、意味が次第にわかってきました。先生よりできないことをするように、また、人間とは何かの答えを見出してゆかれた先生だからこそ起こる現象や巡りのお話に、このことを好運というのかとわかってきました。笑美ちゃんが生まれた時、勤めていた老人ホームを辞められる決断をされた時に、晴美様が美しい微笑みを持って「好きになさい」とおっしゃったとのお話をお聞きし、コンサートメッセージにかいてありました「多数に合わせた時、「好運」は活かされません。」の意味がより理解できました。多数の人は結婚し、子供ができれば仕事を辞めることなどできなくなります。これで終わってしまうのです。先生の人生のお話をお聞きしている中で、ある時、空間が整理され、身に覆っていた黒いものや歪み、誤魔化しと見える灰色のものが取れました。判断の基準は人間とし一貫して生きているかということが見えるようにわかりました。それも人間とし真っ当に生きるように一貫することです。先生にお会いしてからは起こる巡り、現象は自分の内面の現れであること、一見よくないと思えることも、何かに気づかなければいけない大いなる働きかけであると考えるようになりました。何かがうまくいかない時はやってはいけないことであることに気づかせてくれました。的にはまった時、真に要であることを行った時は少しやっただけでも素晴らしい成果が生まれます。私のことも少しお話しくださいましたが、私は自分は不幸だと思い込んで来たのです。先生から見ればこんな幸せな人はいないとおっしゃってくださるのに、自分では不幸と思っていました。最近も何故このようなことになるのかと考えることも多く、考えているうちには不幸だからと行き着く思考パターンがあることを自覚していました。不幸であると感じる時、この世で自分よりやれないことがあることに気づく為にこのような思いをするのかと考えるようになりました。大いなる働きかけと受け止め、大いなる存在のメッセージをわかりたく、内面に問い、人間とし生きることの答えをわかりたいと真剣に考えます。何の為に生きているかを常に考えるのです。この世でうまくいってもそれが生きる意味で考えると何になるのかと考えます。人間は人間としての人生を生きてこその人生であると考え、判断、決断していきたいと考えます。今日のお話をお聞きでき、人間として生きることを貫くことが人生と一筋の光の道が生命の中心に見えました。この道に反することはやってはいけないことと見えました。辛い時や苦しい時はこの道が見えなくなるような余計なものを被っています。情け、憐れみ、思い等々と光を隠し覆う感情、感覚で生きることは余計なこととよくわかります。光は光としより輝くように生きることを考えます。事実がそのまま見えた時に、空間が晴れてきました。自分の思惑や余計な思いがあると事実がよく見えず、判断ができなくなることも理解できました。常に一貫し生きることが基準であれば判断、決断は自然にできます。明日も三鷹にてコンサートがありますことがありがたいです。自分が経験させていただくだけのコンサートではないとは常に感じています。身を置けますことの幸せを受け止め感謝し、身を置かせていただきます。三鷹は5時開演ですので、お時間お間違えなくお越しください。ありがとうございます。

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ウラジオストクにて
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NPO高麗 東北センターにて
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