一瞬で。
それはコンサート後すぐでした。「俗」に落とす何かがあったのだと今振り返ります。ある場面で、自分の頭の中の声で衝動的にした行為があります。コンサートの後で解放された自分なのだから、これが「命のまま」とその時は感じておりました。ですが、自分が俗化している時の思考が今顕著にあります。どこからかと辿るとあの時と到ります。また、コンサート後、私の行為により「俗化」させてしまったかもしれない方々に申し訳なく感じます。「通りゃんせ」が思い浮かばれました。神社を一歩出るかの如く、コンサート後、待ち受けるものがあるのだと今考えます。それは外と言うより内なのでしょう。自分の中の「俗」性に、もしかすると「囁やき」があるのかもしれません。何と簡単な人間かとつくづく感じます。「透明さ」をそのままに生きていくよう肝に銘じます。最近は今まで通りには暮らせないことが差し迫り明確になってきていると感じられます。自分の生活でそのようなことが起こっております。そこから不安要素も生まれますが、コンサートでの経験を心に、生れる前から愛であるのは、何故なら、真の理りすべてが愛であると心にあり、造られた今この人間の社会で不安に陥っても、心には次元の違う「安心」が宿っているとかんじます。
ありがとうございます。
田嶋利江子