KEIKO KOMA Webサロン

一日に何度ものチャンス!


昨日、S夫人のサロンで、高麗恵子講演会のDVDを見て、

大いなる存在と一つで生きていれば、一日に何度もチャンスはある!

という言葉にすっかり気が良くなってしまった。でも、その条件節が、「被って生きていれば」なら、一日に何度ものリスクに見舞われる、になるなあと思いながら、夜道を帰ってきた。

今日は、朝から大阪南部の学校に、講師として採用されるための面接に行ってきた。(先週の話は、学校の都合で流れていた。)また、メフィスト(派遣会社の担当者)が、「先方はお年が不安なそうです。そんな高齢で大丈夫かと、言っています。」と語る。それで、わたしが高校山岳部の顧問もして、山歩きを絶やさない登山家だと、最初に紹介していた。でも、わたしは先日、生徒が「59歳でしょう!」と言ってくれたことに自信を持っていたので、「年齢」で云々するなら、どうでもいいよ、というくらいの気概で面接に応じた。すると、その校長は、「いやあ、お元気で安心しました。」と即決、教科主任を呼び寄せ、具体的な授業内容について話させたのだ。これにはメフィストの方が驚いていた。契約書の用意をしていなかったから。――チャンスのたて髪を掴めた感じ。

その道中に読んでいた本、『いま世界の哲学者が考えていること』(岡本格一郎著、朝日文庫)を、帰って、第2章まで読む。第一章のポストモダン以降の哲学界を概観と、「Being There」が「現存在」の英訳だと知ったことや、脳と体の世界として人間を捉えることに感動していた。しかし、第2章で、IT革命やデジタル革命のところで、「シノプティコン」という内面的な管理社会に生きていることや、AIが「シンギュラリティ」に至ろうとしている現代社会に直面して、頭がついていっていないことを痛感する。――だから、もう年だから、なにも分からないことばかり、と諦念したいとも思わない。こうして「書く」ことによって、まずは頭を整えようとしている。これもチャンスかも。(3/26)

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結工房にて:ジェンダーフリー